大壽堂鼎 第三章 竹島紛争 3

大壽堂鼎 『領土帰属の国際法』 東信堂(1998)

第三章 竹島紛争

三 国際法的評価


 国際法の見地からすると、竹島は日本の領土か、輯国(朝鮮)の領土か、そのいずれかであって、日韓両国の共同統治地域でもなけれぱ、第三国の領土でもなく、帰属未定の無主の地でもない。日本と韓国がそれぞれ竹島を自国の領土と主張して争っているが、それに対して他のどの国も異議を唱えていないからである。
 そこで、日斡両国の主張を整理してみると、およそ三つの点で意見が対立Lていることがわかる。第一は、歴史的根拠についてである。すなわち、両国とも古くから竹島を白国の領土であると主張している点である。第二は、明治三八年の日本政府による領土編入措置の効力についてである。日本はこれを、近代国際法により要求される領土取得の要件を満したものだとする。これに対して韓国は、これを無効だときめつけている。第三は、第二次大戦中のカイロ宣言から戦後の対日平和条約におよぶ一連の措置の意義および解釈についてである。韓国は、これらの措置によって竹島の韓国領なることが確認されたと主張し、日本はこれを否定している。

 以上の間題点について、国際法の観点から両国の主張に評価を加えていかなければならないが、その前に、領土紛争の基準となるべき国際法規について、概観しておくことが必要である。国家が領土を取得する権原として国際法の教科書が示してきたものに、先占、時効、割譲、添付および征服がある。しかし、現実の領土紛争においては、これらの権原のどれかが適用されて解決されるとは必ずしもいえない。*01
 割譲条約のような特定の明白な行為が存在する場合は別である。しかし、右の権原だけでは、国際法の妥当が及ぶ以前からある国の領土であったと主張されている地域についての紛争を、カバーすることはできない。また係争地に対し、複数国の行為が何世紀にもわたって交錯しているような場合には、先占によるか時効をとるか、いずれのタイトルをもって解決のきめ手とするのか、判断がつきかねる場合もありうる。しかL、先占と時効は、ともに国家の領有の意思と、実効的占有の存在を必要条件としている点で共通している。そこでこのような困難を打開するため、最近の国際判例は、必ずしも既成の概念にとらわれず、「国家的権能の平穏かつ継続した発現」にもとづく権原、というふうに、*02
 権利の取得とその維持の両面にわたる条件をより具体的に表現した権原を構成し、これによって、既存の実定法規と矛盾せず、しかも現実の紛争を合理的に解決する道を見出してきている。国家の土地に対する実効的支配を、領有権確立のための決定的な要素とみるこの方法は、一九二八年のバルマス島事件においてはじめられ、一九三三年の東部グリーンランド事件、および一九五三年のマンキエ・エクレオ事件において踏襲されたのである。

 ところで、実効的占有または支配にいう実効性とは、相対的な概念であって、対象となる土地の形状や人口の程度、それに、他国の関心の有無により、必要度を異にするものであることを注意しなけれぱならない。*03
 また、実効的な支配がある期間にわたってかなり濃密になされたとしても、その前に間題の土地の帰属が他国との条約により明瞭に取り決められ、当該土地がその他国に属すると定められている場合には、その領有権をうち破るほど強い力が実効的支配に認められることは困難である。*04

 竹島に関しては、日韓両国の間にその帰属を明確に定めた条約は、かつても今も存在しない。そして両国は、互いに古くから竹島を領有してきたと主張している。この意味において、本件は皆川教授が指摘されたように、マンキエ・エクレオ事件に類似している。*05
 この事件において、当事国のイギリスとフランスは、いずれも一〇六六年にまでさかのぼる古い時代の ancient or original title を援用し、その権原は常に維持され、決して喪失されなかったと主張していたのである。*06

 そこで、竹島事件を解決するためには、マソキエ・エクレオ事件の判決にならい、まず、両国が援用する歴史的な事実が果してどれほど国際法上の意義をもつのかを検討し、ついで、両国の主張のいずれが、実効的占有というより現代的な要件に合致しているかを比較して、相対的にその優劣を判定するほかないと思われる。




 *01 ジェニソグス教授は、旧来の権原だけでは、新生国の誕生のような事態を処理することができないため、不完全なものになっていることを指摘している。
 *02 バルマス島事件仲裁裁判官フーバーの言葉。
 *03 東部グリーソラソド事件において、ノルウェーの先占行為の有効性は認められなかった。それは、間題の地城の極地的特殊性と、係争の直前までデソマーク以外の国による主権の要求がなかったことを考慮して、テソマークが提示した僅少の行為をもって主権の表示を構成するものと判定されたからであった。
 *04 一九五九年に判決された国境地区の主権に関する事件において、国際司法裁判所は、ベルギーとオランダの国境附近の囲饒地の帰属をめぐる間題を解決するにあたり、問題の土地が両当事国の国境協定によってベルギー領と定められており、また、特にベルギーがこれを放棄する意思は存しなかったと認めたので、係争地に対する実際の主権的行為は、オラソダの方がよりすぐれていたにもかかわらず、結局オラソダの主張を斥けた。ICJ.1959.p209ff 深津栄一「国境地区の主権に関する事件」、高野雄一編『判例研究国際司法裁判所』(昭和四〇年)、一九〇-一九九頁参照。
 *05 皆川洗「竹島紛争と国際判例」、『前原教授還暦記念国際法学の諸間題』(昭和三八年)、三五二頁。
 *06 IJC 1953 p53


  • 最終更新:2010-03-07 08:53:14

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