日本と韓国、竹島問題の基礎知識
掲載日: 2005年 03月 13日
今、日韓両国の間で「竹島」領有をめぐる論争が再び大きくクローズアップされています。なぜ竹島領有問題が起こったのか、そしてそれがここ最近、韓流ブームで日韓友好ムードが漂うなかなぜ竹島をはじめとした「反日」が盛り上がりを見せているのか、解説してみました。
【竹島=日本領説の根拠と、それに対する韓国の反論】
小さな小さな竹島、しかしそれを領有する意味は大きい
竹島(韓国名:独島)は、日本海に浮かぶ小さな島です。女島・男島といくつかの岩からなっていて、広さは0.23平方km、だいたい日比谷公園と同じ面積です。
このような小さな島がなぜ・・・それは、排他的経済水域(EEZ)の問題があるからです。EEZについてはこのサイトでもさんざんやってきたのですが、簡単にいうと「主権は及ばないが(他国の船の航行などは自由)、その水域の地下資源や水産資源などを優先的に利用できる」水域のことなのですね(くわしくはこちらをご参照ください)。
だから、竹島がいかに小さな島とはいえ、そこから発生するEEZはかなり広範囲にわたるわけです。竹島が日本のものか、韓国のものか、というのは、そう考えるとかなり大きな経済的問題(特に日本海の場合は漁業問題)に発展するわけです。
竹島日本領、その根拠とは
で、竹島は日本領なのか韓国領なのか。国際法の「先占」理論でいうと、結論は「日本領」になります。
先占理論についてもこのサイトで何回か説明してきたのですが、簡単にいうと(1)先にどの国のものでもないその土地を見つけ、かつ(2)先にその土地領有の意思を公的に示したこと、の2つを満たした場合、その土地はその国の領土になるというものです。
近世までに、韓国(当時は李氏朝鮮)、日本も竹島を見つけていました。どっちが先か、というのは今から検証するのは難しいでしょう。そのころは近代的な「国境」という概念もなかったわけで。
さて、日本では1661年、江戸幕府が伯耆藩の大谷、村川両家に竹島領有の権利を与えるなど、竹島は日本海漁業の拠点として、知られた存在でした。
漁民たちはさらに韓国寄りの鬱陵(ウルルン)島まで手を伸ばすのですが、さすがにそれは止めてくれという朝鮮の申し出があり、鬱陵島への渡航は禁止されます。しかし竹島は引き続き大谷、村川両家の領有地でした。
さて、ここまでは日韓両国ともに(1)の条件はクリアしていたのですが、近代になって、日本の国境確定をすることになった日本は、竹島でアシカ猟をしたいという申し出があったこともあり、1905年、竹島を島根県に編入する閣議決定をしました。
この決定に対する韓国からの異議申し立てもなかったので、これで、日本は韓国よりも先に(2)の条件をクリアし、竹島は先占理論によって国際法上公式な日本領となったのでした。
(※幕府が大谷、村川両家に竹島を与えた時点で、「先占」が成立しているという説もあります。外国への通告は先占成立に必要ないからです。日本と李氏朝鮮は鎖国時代も定期交流があったので、この事実を朝鮮王国が知らなかったことも考えにくいです。)
韓国側の「竹島日本領説」への反論
もっとも、これには韓国から異論が上がっています。
1905年の前年、韓国は日本と第1次日韓協約を結ばされ、財政権・外交権が事実上日本に奪われ、保護国化していた。従って、1905年の日本竹島領有に対して、異議申し立てができる状態ではなかった、ということです。
それももっともといえばもっともです。しかし、それを主張するなら、堂々ときちんとした機関で議論を受けて立つべきだと筆者は考えます。韓国は、今のところそれを拒否しています。それはまた後で述べることにします。
とりあえず、韓国の言い分は、「こっちだって先に見つけていた。領有権が主張できなかったのは日本の帝国主義、植民地主義のためで、アンフェアだ」ということです。
竹島は「暴力的に」日本が領有してきたのか
さて、日本は1910年に韓国を併合しますが、1945年、太平洋戦争で日本が敗戦した際、ポツダム宣言を受け入れることによって、朝鮮半島の独立が回復されます。
つまり、
ポツダム宣言 第8項
カイロ宣言の条項は、履行されるべく、又日本国の主権は、本州、北海道、九州及び四国並に吾等の決定する諸小島に局限されるべし。
これを受け入れたわけです。
「カイロ宣言の条項は、履行されるべく」というのは、カイロ宣言にある「日本は、暴力及び貪欲により略取したる他の一切の地域より駆逐せらるべし」ということを実行するぞ、ということなのですが、
竹島は江戸時代初期からとくに戦争沙汰もなく日本人に利用されていた経緯から考えると、日清戦争で獲得した台湾などのように「暴力及び貪欲により略取した」島ではないように思えます。
しかし韓国は、「竹島領有は日本の朝鮮侵略の第一歩で、まさに『暴力及び貪欲により略取した』島だ」と主張するわけです。
もっとも、韓国が竹島の領有を主張する根拠は、別の文書にあるようです。次のページで見ていきましょう。
【竹島が韓国に占拠されるなか、実現した日韓国交正常化】
問題をややこしくしたGHQ覚書の存在
さて、1945年9月から日本を占領することになった連合国軍総指令部(GHQ)ですが、ここが1946年、こんな文書を出します。それは「GHQ覚書第677号」というもので、日本の竹島における政治・行政上の権限行使を暫定的に停止する、というものでした。
これが韓国政府の竹島領有の根拠になっているようです。連合国によって竹島は日本から切り離されたのだから、日本領ではない。ということです。
しかし、問題は3点。
・だからといって、韓国に「政治・行政上」の権限が渡されたとは書いていない。
・そもそも「政治・行政」権と主権は別。沖縄も、「政治・行政権=施政権」はアメリカに渡されたが、主権は日本にあるとされていた。
・一方的な通達で、当事国日本の同意がない。国際法としての効力があるとみるのは難しい。
李承晩ラインと竹島の韓国による「占拠」
1951年に調印され、翌年発効した太平洋戦争の講和条約であるサンフランシスコ平和条約には、こうあります。
サンフランシスコ平和条約 第2条(a)
日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
これをみると、竹島(独島)は入ってませんから、竹島は日本領として残った、と素直に解釈することができます。
もっともこの条約には、韓国は参加していません。それもそのはずで、韓国は日本の植民地で、戦争していたわけではないわけですから。
さて、そんななか、韓国の初代大統領李承晩(イ・イスマン)は、1952年、一方的に韓国領海を決めてしまいます。これが「李承晩ライン」とよばれるもので、このライン内に竹島がすっぽり入ってしまい、韓国が公式に初めて「竹島は韓国領」と主張することになったのです。
日本は当然抗議し、領有権を改めて主張しますが、韓国は応じず、1954年には竹島に警察官を送り(警察官といっても海上保安隊ぐらいの装備はあるようですが)竹島を占拠します。日本は竹島問題を国際司法裁判所で争うよう主張しますが、韓国は拒否しました。
竹島の韓国による占有状態は、今も続いています。日本領だと思って近づくと、逮捕されてしまいます。
経済発展のため日韓国交正常化を急いだ朴正煕政権
さて、こんな日韓関係でしたが、冷戦のさなか、アメリカが暗に早期の日韓の国交正常化をするように促したこともあって、日韓交渉が行われるようになりました。しかし、竹島問題やら賠償問題やらでなかなか難航します。
ちなみに、本論じゃないんですけど、賠償問題についていうと、韓国と日本は戦争したわけではないから賠償金は払えないというのが日本の立場。で、それじゃ日本が韓国から奪った財産を返還することにしようとしたら、実は日本が韓国に与えていた方が多かった。
日本の植民地経営は赤字だったのですね。ちなみに、経営的には利益ないし、朝鮮人から恨み買うしで、朝鮮支配なんかいい事まるでないと戦前に喝破していたのが後の首相・石橋湛山で、改めて彼の慧眼(けいがん)はすごいと思ったりします。
ま、でもなんとか韓国は日本から資金を引き出さないと、国民が黙っていない。落としどころをどこにするかで、交渉は膠着(こうちゃく)するのです。
さて、この間に、韓国では政変が相次ぎ、1961年、クーデターにより朴正煕(パク・チョンヒ)が政権を握ります(大統領就任は1963年)。
朴正煕は、政治的には民主化勢力を締め付け、弾圧しながら、経済5カ年計画などを策定し、経済を向上させることに努めようとします。
そのため、日韓交渉では、とりあえず竹島問題は置いておき、どれだけ日本から金を引き出せるかに絞って、早期妥結を狙って交渉しました。
その結果、
・日本は有償、無償の援助を韓国に行う。韓国は日本に賠償請求をしない。
・日本政府は「不幸な歴史」に「遺憾の意」を示す(椎名外相がコメントした。)。
・李承晩ラインは、廃止する。沿岸から12カイリまでの線を、両国の漁業水域とする。
などということで両国がまとまり、これをベースに「日韓基本条約」が1965年、締結され、日韓の国交は正常化されたのです。
この基本条約で、竹島はどうなったのでしょう。次のページでみていきます。
(↓最初、島根県を鳥取県と書いておりました。お詫びの上訂正いたします。)
【今現在の韓国で巻き起こる「反日」の背景にある事情】
結局「棚上げ」された竹島領有問題
竹島問題は、日韓交渉妥結を急ぎたい朴正煕によって、まさにのどにささったトゲでした。何とかしたいけど、下手に妥協したら民衆からなにされるかわからないわけで。
アメリカは、竹島を「日韓共有」にしてはどうか、と提案しましたが、そんなこと到底無理と考えた朴正煕は「いっそのこと独島(竹島)を爆破したい」とまで、アメリカ高官に言ってのけていたといいます。
ということで、日韓基本条約にも、同時に締結された(旧)日韓漁業協定にも、また日韓紛争解決交換公文にも、「竹島」のタの字もでてきません。
日韓の紛争は平和的に解決することを約束した「日韓紛争解決交換公文」では、当初「竹島紛争」がある旨を日本側草案に盛り込んでいました。しかし、日本の佐藤栄作首相の判断でこれは削除されました。これは、佐藤の、朴に対する配慮だったのでしょうか。
というわけで、朴正煕と佐藤栄作の間で、暗黙のうちに竹島問題は「棚上げ」されたのでした。
日本海の漁業問題に大きく影響する竹島問題
それから今年で40年。今年は日韓友好年ですし、それをいわなくても「韓流ブーム」で日韓友好ムードは盛り上がっているように見えます。しかし、ここにきてなぜ竹島問題がクローズアップされてきたのでしょうか。
まずは、漁業問題です。新漁業協定で、竹島周辺の海域は「日韓暫定水域」とされ、両国の漁船の共有水域となったのですが、竹島のわりかし近くにある鬱陵島で補給ができ、しかも韓国が占拠する竹島にも着岸できる韓国の漁師さんの方が、圧倒的に有利。
日本、なかでも島根県の漁師さんたちは最低でも隠岐から水域に直行しなくてはならないのですから、どうしても遅れをとってしまう。もちろん竹島にいったら韓国警察がいるので拿捕(だほ)されてしまいます。
そしてこの暫定水域自体、日本のほうに大きく食い込んでいて、日本の漁業には不利だと言われています(下図参照)。それにお魚さんは水域に関係なく泳いでますから、暫定水域で乱獲されると、日本EEZ内の漁獲高にも深刻な影響が及ぶわけで。
それもこれも竹島領有問題がうやむやだからいけない、ということで、今年が竹島の島根県編入100周年にあたることもあり、島根県が「竹島の日」条例をつくり(3/16に可決の見込み)、政府に領有権主張を強力にするようアピールしようとしているのです。これに、韓国が「日本の再侵略開始だ」と猛反発しているのですね。
それにしてもいまなぜ、竹島を含めて韓国では「反日」が盛り上がっているのでしょう?
それにしてもいまなぜ、竹島を含めて韓国は「反日」を盛り上げるのか
そうでなくても、日本の韓流ブームと違い、韓国からは「反日」の声が多く聞かれます。なぜなのでしょう。韓国文化が日本でもてはやされているのだから、「勝った勝った」といっていればいいような気もしますが。
これは、韓国の現代史を振り返ってみると、答えが見えてくるような気がします。
韓国は、開発独裁が成功した典型例です。開発独裁とは、経済発展と開発のためには、少々人権抑圧しても独裁政治の方が効率がいい、という考えです。
朴正煕は、まさにこれを行いました。彼による人権抑圧はものすごかったわけですが、同時に日本の資本を受け入れて高度経済成長を実現。それは「漢江(ハンガン)の奇跡」とよばれるほどの成長ぶりで、韓国は一躍NIEs(新興工業経済地域)の一翼を担うまでに至ります。
その朴正煕が1979年に暗殺され、すったもんだしたあげく、クーデターと光州事件鎮圧(最低数百人もの学生・市民が軍によって殺害)で大統領になった全斗煥(チョン・ドファン)もまた、人権抑圧しながら経済発展を実現し、貿易収支を黒字化させ韓国を先進国の一員にまで押し上げました。
今は民主化し、とりあえず普通の先進国に落ち着いた韓国ですが、ここにきて、「あの開発独裁は、あれでよかったのか?」とみんなが考えはじめたのです。
「負の歴史清算」と韓国政局との関係
全斗煥は罰せられたので歴史的評価は定まったとして、問題は朴正煕です。彼のやり方はよかったのか? 大事な領土問題や、賠償請求権を放棄してまで、経済発展を優先させ、日本としっかり議論しないまま国交正常化したのはよかったのか? そんな議論がまきおこっているわけです。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領も、こうした歴史の「清算」を進めることを明言しています。朴正煕政権下でのさまざまな疑惑を国会で追及していくことも提案しています。で、この政権下で結ばれた日韓基本条約も見直そう、という声も上がってきました。
これは、実は盧武鉉大統領の個人的な立場による政策でもあるわけです。
盧武鉉大統領と、与党ウリ党に対抗する最大勢力、ハンナラ党は朴正煕の系統をひく政党で、しかも党首は朴正煕の娘、朴槿恵(パク・クネ)です。彼女は一時の田中真紀子さんみたいな存在で、人気のある人です。
ウリ党としては、歴史清算問題を通して、ハンナラ党にダメージを与えたい。そのためには、日本に対して妥協的だった朴正煕の政策を批判するキャンペーンを行うことが有効だ、ということになるわけです。
ちなみに盧武鉉大統領の支持率も、今は30%弱と低迷。「反日」を支持率アップの起爆剤としたい、というのはうがった見方でしょうか?
せっかくもりあがっている韓流ブームと日韓友好。しかしこの友好ムードが、韓国の政争のために台なしになってはほしくないと思うのですが。竹島問題も、感情的にならずに、大人の国同士の紳士的な決着をつけたいところです。
国際司法裁判所できちんと決着するのが「大人の国」では?
紳士的で一番いい決着法は、「国際司法裁判所で竹島問題を裁いてもらう」だと思います。
国際司法裁判所はオランダのハーグにあり、国連主要機関の1つです。国際司法裁判所の判決は国際法的な拘束力を持ちます。つまり、判決に従わない国は、国連安保理から制裁の決定を受けて制裁されても文句が言えないのです。
先進国も途上国も、いろいろな国が、この国際司法裁判所で国境紛争を平和的に解決してきました。アメリカとカナダだってそうしたことがあります。
エルサルバドルとホンジュラスの有名な「サッカー戦争」の背景にあった国境紛争も、のちに国際司法裁判所の判決で解決しています。
「だったら、北方領土も尖閣諸島も裁判で」という声もあるかと思いますが、それはちょっと・・・
ロシアも中国も安保理の常任理事国なので、拒否権があります。それによって彼らは制裁を回避できるわけですから、判決に従わないおそれが濃厚なので、それだったら今は両国とも政治的に過渡期だし、しばらく待とうか、というところだと思います。
しかし、韓国はOECD(経済協力開発機構)にも入っている先進国です。話し合いで決着がつかないことは、国際司法でカタをつけてもらう、これに応じないのは不可思議です。
日本は、先にも述べたように1954年に国際司法裁判所で裁判することを要求しています。韓国は、それを拒否しました。国際裁判では、当事者両国の同意が必要なので、そのとき裁判は実現しませんでした。
しかし、今は時代も環境も変わりました。今、韓国の、先進国としての器量が問われているのではないでしょうか。
- 最終更新:2009-08-03 11:05:59