保坂氏がゲーリー氏に反論? 090223

【第1ステージ】

  韓国側は、朝鮮が作成した地図・絵図に「于山島」として描かれている島は「独島」である。と主張していました。
  その理由として、「于山島が鬱陵島の東に、独島として正確に描かれている。」と主張しました。これを最初に聞いた時は奇異に感じましたが、どうやら、17世紀以前に描かれた絵図は于山島の位置が定まらず、日本側から「ヒョッコリひょうたん島」と揶揄されていたけど、18世紀以降の絵図は于山島を鬱陵島の東に描くことが多くなったので、「独島として正確に描かれている」という主張になった模様です。又、「長久保赤水等の地図でも、竹島・松島のみが描かれ、チェクトは描かれていない。広い地域を描くには、小さな島は省かれることが多い。朝鮮作成の絵図もこれに倣ったものである。」と主張しました。
  しかし、前者は、その論理飛躍が明らかですし、後者は、赤水図は竹島・松島のみを描いたが、江戸期の日本人が作成した絵図の多くは、竹島・松島が詳細に描かれ、少なくとも他の島と峻別可能な程度に描かれています。詳細絵図が存しない朝鮮側と同列に論じることはできません。

  この様な状態で、両者の議論は平行線をたどっていました。
  平行線を辿る議論に決着を付けるには、「どちらに立証責任を負わせるか」という判断が必要です。これを指摘すると、韓国側は「狼たちの国際法が・・・」「朝鮮侵略への反省が足りない」等々・・・訳の判らない反応を示します。

【第2ステージ】

  朝鮮が作成した地図・絵図に「于山島」として描かれている島は、一般常識で判断すると「チェクト」であり、「独島」とするには鬱陵島に近すぎました。それでも、韓国側は、于山島=独島の主張を翻しません。
  この状況に一石を投じたのがゲーリー氏でした。ゲーリー氏は、「鬱陵島圖形」を示し、そこに「所謂 于山島 - 海長竹田」の文字を発見し、于山島がチェクトであることを証明しました。又、1目盛りが10里で作成されている「靑邱圖」を示し、そこに描かれている于山島が鬱陵島から5Km程度しか離れていない島である事を明らかにしました。
  韓国側は、「于山島の描かれた絵図は数百枚ある。その内の2枚の絵図が・・・」と負け惜しみを言いますが、何が描かれているか判らない数百枚の絵図と、はっきりチェクトと判明する2枚の地図の証明力の差は歴然としています。
  「靑邱圖」の特徴の一つに、南沿岸に5つの判然としない島影が描かれています。この特徴を引継いだ1899年大韓全図の于山島もチェクトと言うことになります。李氏朝鮮は、その終焉まで鬱陵島を正確に認識することができなかったのです。

【第3ステージ】

  最早、為す術が無いのか、韓国側はこの2年間沈黙を守って来ました。この沈黙を破ったのが鉄砲玉を他認する保坂氏でした。保坂氏は、「海東輿地図」に描かれている「于山島」が独島に見えると言います。しかし、これは彼の個人的な趣味嗜好を述べたに過ぎず、ゲーリー氏の指摘が有していた論理性・客観性が欠如しています。何の説得力もありません。
  未だ、第3ステージは始まっていないと思われます。
  尚、「海東輿地図の于山島」の特徴は、南北に細長い島で、北に山麓があり南に平野が広がっています。この絵図に近いのは、竹嶼・竹島の何れでしょうか。私は、竹嶼であると思います。





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  17398 保坂ビデオ  yabutarou01 2009/ 3/11

  • 最終更新:2009-03-12 14:28:06

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