大壽堂鼎 第三章 竹島紛争 321

大壽堂鼎 『領土帰属の国際法』 東信堂(1998)

第三章 竹島紛争

三 国際法的評価

(二)

 さて、マンキエ・エクレオ事件において裁判所は、イギリス・フラソス両当事国による古い封建時代の歴史的事実に関する主張を、不確実かつ議論の的になるような見解にもとづいていると判定し、それ故、本件を裁判するために、この歴史上の論争を解決する必要はない、と断じた。そして裁判所は、たとえフランス王が係争諸島に対して、原初的な封上権(original feudal title)をもっていたにせよ、このような権原はその後の事件によって失効してしまったにちがいないと判断し、右の権原は、法の変化にともなって新たに必要とされた別の有効な権原に取替えられていなげれぱ、今日において、いかなる法律効果をも生みだしえないという見解を表明した。*11
 ここで、新らしい有効な権原というのは、いうまでもなく、実効的占有にもとづく権原のことである。そして、裁判所によると、決定的重要性をもつのは、中世における事件からひきだされた間接的推定ではなくて、エクレオおよびマソキエの小島群の占有に直接関係ある証拠だったのである。*12

 韓国がたとえ竹鳥になんらかの歴史的権原をもっていたと仮定しても、それは実効的占有にもとづく権原に取替えられなかった。これに対して、日本政府による明治三八年の領土編入措置と、それにつづく国家権能の継続した発現は、一七世紀に、当時の国際法にもほぼ合致して有効に設定されたと思われる日本の権原を、現代的な要請に応じて十分に取替えるものであった。ところが、韓国はこの措置を無効だと主張している。


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 無効説の論拠は、第一に、日本の措置は無主の地に対する先占の行為であったけれども、竹島は無主の地ではなく、韓国領であったというのである、なるほど、問題の描置が先占行為の形式を呈していたことは認められる。*13
 しかし、当時日本政府は、竹島のような本土から離れた島々を正式に領上として確定するためには、国際法上先占の要件を具備する必要があると考えていたようで、明治初年以来、必要の生じるに従ってこの措置をとってきた。明治九年に小笠原諸島に関し版図編入の措置がとられたのは、同島に外国人が定住L、外国との閲にトラブルを生じるおそれがあったからである。*14
 竹島に関する措置が明治三八年になされたのは、それまで韓国はじめどの国とも紛争を生じていなかったが、アシカの濫獲を防止するため、アシカ漁業を取締る必要が出てきたからであった。日本政府に竹島の帰属が未確定だとする意識はあったとしても、韓国領だとする意識は全くなかった。韓国が竹島になんらの支配権も及ぽしていなかったから当然である。韓国はみずから竹島を実効的に占有していた事実を立証する責任があり、それをなしえない限り、日本の措置を無効だといっても、法的な意義はない。



 *11 IJC 1953 p56 いわゆる時際法の原則からして、そうならざるをえない。
 *12
 *13 中井養三郎の領土編入願に、「本島ハ領土所属定マラズ」とあり、これを受けた閣議決定の中に、次のような文言があるからである。「隠岐島ヲ距ル西北八十五浬二在ル無人島ハ他国二於テ之ヲ占領シタリト認ムヘキ形跡ナク・・・此際所属及島名ヲ確定スル必要アルヲ以テ該島ヲ竹島ト名ケ・・・明治三十六年以来中井養三郎ナル者該島二移住シ漁業二従事セルコトハ関係書類二依リ明ナル所ナレハ国際法上占領ノ事実アルモノト認メ之ヲ本邦所属トシ島根県所属隠岐島司ノ所管ト為シ・・・」
 *14 植田捷雄「領土帰属関係史」、国際法学会『平和条約の綜合研究』上巻(昭和二七年)、135-137頁参照。


  • 最終更新:2010-03-07 08:55:57

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