大壽堂鼎 第三章 竹島紛争 322

大壽堂鼎 『領土帰属の国際法』 東信堂(1998)

第三章 竹島紛争

三 国際法的評価

2 

 韓国の主張の第二点は、日本の領有意思の表明が、島根県告示という形でなされたことである。つまり、中央政府ではなく地方庁により秘密裡に(stealthily)なされ、しかも韓国政府に対する通告がなかったのであるから、無効だというのである。しかし、国際法上、領土取得の心的要件とされている領有意思の表明には、一定の形式があるわげではない。これは、明示になされなくても、平穏かつ継続して問題の上地に国家機能を表示することから、推定されることもありうる。まして、地方庁の告示によったにせよ、竹島の所属が国家機関により明確な形で示されたのであるから、これで十分である。明治以来、わが国による周辺諸島の領土編入行為は、必ずしも中央政府の名でなされておらず、政府の訓令にもとづく地方庁の行為によったごとも他に例がある。明治一三年の南鳥島編入は、東京府告示の形式でなされ、これでなんら諸外国より争われなかったのである。*15

 また、外国政府に対する通告を先占の要件とするのは少数説にすぎない。なるほど、一八八五年のベルリソ会議一般議定書は、先占の要件として、地方的権力の確立のほかに、通缶をも義務的とした。しかし、ベルリン議定書の効力は地域的にアフリカ大陸の海岸に限定されており、同議定書を廃棄した一九一九年のサソ・ジェルマソ条約は、地方的権力を維持する義務を確認したが、通告の義務は除外している。国家実行を見ても、通告は例外約にしか行たわれていない。*16
 判例や学説の多数も、通告の必要を認めていないのであり、*17
 これが一般慣習法上の義務として存在するとはいえないのである。もっとも、通告が国家の領有意思を明確にするため、望ましいとはいえる。小笠原島の領土編入の場合には、この旨が東京駐在の各国公使に通告された。しかし、これは当時、アメリカやイギリスが小笠原島の帰属間題に関心をもっていたからなされたのであり、*18
 竹島のように、編入当時どこの国も関心を示さなかった無人島の場合には、政策的な見地からしても、通告が必要だと断定できない。さらに、秘密裡になされたという非難は全く事実に反しており、当時新聞にも報道された。

 この点に関連して、韓国政府は、当時韓国が日本の行為をたとえ知っていたとしても、異議を唱えうる地位になかったと主張する。最初同政府は、一九〇四年二月の日韓議定書、同年八月の第一次H韓協約によって、日本は韓国政府に対する数名の日本人外交顧問の勤務を保証させたと述べたてた。しかし、これは日本政府が反駁したように、正確でない。日韓協約第二項によると、韓国政府は日本政府の推薦する外国人一名を外交顧間として傭聰することに同意しただけであり、実際に傭聰されたのもアメリカ人スチーヴンスであった。*19
 もっとも、当時における両国の力関係からして、韓国の立場には同情すべき余地がある。しかし、本間題の決定のためには、こうした事情にあまり深くかかわる必要はない。たとえ韓国が竹島編入のなされた一九〇五年二月以降、日本の行為に対して抗議しうる地位になかったとしても、そのことによってただちに右の措置が無効となるわけではない。^国が一九〇四年以前には竹島に実効的支配を及ぽしうる完全な地位にありながら、全く支配権を及ぼさなかったことが重要なのである。竹島におげるアシカ漁業を取締る必要があったにもかかわらず、韓国はこれを放置tていたのである。



 *15 外務省編、国際法先例彙集②『島嶼先占』、三九-四二頁参照。
 *16
 *17 パルマス島判決参照。ヵO君景O二昌O;筆昌巴>『事邑≧毒a9<O;一PO。雷・
 *18 植田前掲論文、一四一-一四二頁参照。
 *19 韓国が日本の保護下に入ったのは一九〇五年一一月の第二次日韓協約によってであった。したがって、同年二月から一一月までの間に、抗議しようとすれぱLうる地位にあった。


  • 最終更新:2010-03-07 08:56:49

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード