大壽堂鼎 第三章 竹島紛争 323

大壽堂鼎 『領土帰属の国際法』 東信堂(1998)

第三章 竹島紛争

三 国際法的評価

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 韓国は第三番目の論拠として、領上編入措置以後の日本政府の行為は、国際法にもとづく領土支配権の継続した行使とは認められない、とする。その理由は、日本政府による調査等の行為が、日本の韓国侵略行為の一つにほかならないからというのである。しかし、これは、第一点の竹島が韓国領であったという主張が証明されない隈り、理曲にはならない。韓国は、江戸時代の隠州視聴合紀や大谷九右衛門手記も、日本の鬱陵島侵略時代に書かれたものであるから、証拠として無効だという。侵略というどぎつい言葉を用いることにより、韓国は問接的に日本が竹島を実効的に占有した事実を認め、自国の側には実効的支配の事実がなかったことを認めているもののようである。

 これを要するに、明治三八年の日本の領上編入措置が無効だといえる場合は、韓国がそれ以前に竹島を実効的に占有していたこと、すなわち、国家機能を現実に行使していたことが証明された時のみである。ところが、韓国は日本の行為をただ無効だと批判するだけで、積極的にみずから実効的占有を行なった証拠は何一つ提出していない。日本との紛争が発生した一九五二年以後の活発な行動に反し、一九〇五年以前において、韓国の公的活動は皆無にひとしかったのである。

 韓国は竹島が欝陵島の「属島」であるとしきりに強調する。一九〇六年に沈郡守が竹島を欝陵郡に所属するものと考えていたかもしれないが、竹島の所属を示す行政措置はそれまでなんらとられていなかった。また、たとえ行政上、属島とされていたと仮定しても、本島から実効的占有が及んでいなけれぱ、国際法的にあまり意味がたい回属島という点を強調しすぎることにより、韓国はここでもまた、竹島に実効的支配が及んでいなかったことを間接的に告白している。

 韓国はさらに、竹島が日本の隠岐よりも欝陵島に近い点をとり上げる。たしかに、竹島は隠岐へ約九〇カイリ、欝陵島へ約五〇カイリの距離にある。しかし、地理的な近接性を間題にするならぱ、韓国本上からの距離もあわせ考えねぼならない。というのは、欝陵島が四五〇年ものあいだ、空島とされていたからである。これに対して、隠岐が空島とされたことはいまだかつてない。そして、竹島から韓国本上へは一二〇カイリであるのに対し、日本本土へは一一五カイリで、この方がむしろ近い。また、欝陵島と竹島との間には水深二〇〇〇メートルを越す深海が横たわっており、犬陸棚とは全く関係がない。このように、竹島へは韓国の方が近いとは簡単にいえないぱかりでなく、国際法上、地理的近接性はほとんど意義をもたない。*20
 バルマス島事件の仲裁裁判判決は、接統性の原則を、領土主権の問題を決定する法律的方法と認めることはできないとして、これにもとづく主張を斥げている。*21
 地理的近接性が法的な基準になるとすれぱ、マンキエ・エクレオ事件において、海峡諸島(channe islands)全体の帰属が間題になったはずである。海峡諸島は、イギリス本土からはイギリス海峡を距ててとび離れているのに反し、フラソス本土のノルマソジーおよびブルターニュからは、一衣帯水の地点にある。しかし、この海峡諸島がイギリスに属することは全く争われなかった。争われたのは、海峡諸島中のマンキエ島群とエクレオ島群だけであった。このうち、マンキエ島群は、イギリス領海峡諸島中のジャージー島よりも、フランス領シヨーゼー島の方が近い。*22
 したがって、もし裁判所が地理的な距離を解決の基準として採用していたならぱ、マンキエはフランス領と決定されたはずである。しかし、結果は逆であった。

 ただ、地理的近接性がいささかでも法的な意味があるとすれぱ、それは、本土または本島に対する実効的占有の存在を前提して、領土権の範囲を暫定的に示す一種の未成熟の権原としての価値をもつ場合が考えられることである。例えぱ、一個のまとまった群島のうち、その主島を先占すれば、一定期間全群島に対する先占が推定されるかもしれない。しかし、この未成熟の権原は、その効果をきびしく限定しなけれぱ、実効的占有の要求と矛眉することになる。それ故、右の推定は最初の段階だけ成立つのであって、順次全地域に主権が及ぼされなげれぱならない。ところで、竹島は欝陵島を中心とする群島の一つではなく、全然別個の独立島である。したがって、鬱陵島と竹島の帰属はそれぞれ別個に決定されなければならないのであるが、欝陵島が韓国によって占有された後も、竹島にまで主権が及ぽされた形跡は全くなかったのである。



 *20 地理的近接性の法的意義について、拙稿「極地の帰属」、『法学論邊』六三巻二号、三八-四三頁参照。
 *21 カO℃O『言O{-暮O;筥-O量->}ミ巴>考睾ユ叩一<〇一-戸℃POO窪-OO雷ー
 *22 マンキエ島群はジナージー島から9.8カイリ、フラソス本土から16.2カイリの海中に位置するが、シヨーゼー島からは8カイリである。IJC.1953.p53


  • 最終更新:2010-03-07 09:00:02

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