大壽堂鼎 第三章 竹島紛争 330

大壽堂鼎 『領土帰属の国際法』 東信堂(1998)

第三章 竹島紛争

三 国際法的評価

(三)

 最後に、カイロ宣言にはじまる連合国の一連の措置についてであるが、*23
 この点でも、韓国の主張は相当に無理であって、日本側の反駁の方が正しいと評さなければならない。一九四三年一一月ニ七日のカイロ宣言では、「日本国は暴力および強欲により略取した一切の地域から駆逐せらるべきこと」が宣言された。そして、一九四五年七月二六日のポツダム宣言には、第八項で、「カイロ宣言の条項は履行せらるべく、また日本国の主権は、本州、北海道、九州および四国、ならびにわれらの決定する諸小島に局限せらるべし」とある。韓国政府は、日本がポツダム宣言を受諾することにより、カイロ宣言の条項をも履行する義務を負い、したがって、韓国から暴力および強欲によって略取した竹島は、日本から分離されるべきことが決定されたと主張する。さらに、一九四六年一月二九日付連合軍総司令部覚書(SCAPIN)第六七七号は、日本から政治上ならびに行政上分離する地域として若干の外郭地域を指定したが、その際、竹島は済州島や欝陵島とともにその地域に含められ、日本は竹島に対する権力行使を停止することにたった。また、一九四六年六月二二日の総司令部覚書によって設定されたいわゆるマヅカーサーラインは、竹島を日本漁船の操業区域外に置いた。韓国はこれらの事実を、竹島が日本から分雌されて韓国領となったという主張のため援用する。これに対し、日本政府は、韓国側のような主張は全く根拠がないと、次のように反駁している。

 SCAPIN第六七七号は、占領下の暫定灼措置であって、竹島を日本の領域から除外したものではない。それは同覚書白体その第六項で、この指令中の条項はいずれも日本国領土帰属の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない、と断わっていることからも明らかである。また、マソカーサー・ラインについても、これを設定した覚書の第五項は、それが国家統治権、国境線または漁業権についての最終決定に関する連合国の政策の表明ではない、とはっきり断わっている。およそ、降伏後の対日基本政策は、日本国に関する連合国の一般的政策の声明にすぎないのであるが、本州、北海道、九州、四国以外の周辺諸小島の帰属決定は、これをその後の処置に残している。そして、戦後の日本領土を確定したのは、一九五二年四月二八日に発効した対〕平和条約である。この平和条約において、日本は朝鮮の独立を承認したが、これは日韓併合前の朝鮮が日本から分離独立したことを認めたものであって、併合前から日本領土であった地域を新たに独立した朝鮮に割譲するとの意味は全く含まれていない。まして、竹島は古来から日本固有の領土であり、カイロ宣言にいう「暴力および強欲により暗取した地域」でないことは明白である。

 右の日本政府の主張にもあるように、戦後竹島の帰属を確定したのは、対日平和条約である。同条約第二条a項には、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び講求権を放棄する」とあり、竹島は日本が放棄した地域から除外されている。これに対して斡国は、平和条約の領土条項が、SCAPIN第六七七号にもとづく連合国最高司令官の行政権停止措置を、実質的変化を加えることなしに確認したものだと主張している。しかし、占領中においてすでに、前記SCAPINによって日本政府の行政権が停止されていた南西諸島中の若千の島々が返還を見ており、また、残りの南西諸島や小笠原等の南力諸島に対しても、日本に残存主権のあることが明らかにされたのであり、SCAPIN第六七七号は実質的変化を加えられている。平和条約はいかに戦勝国が戦敗国に強制するものとはいえ、戦敗国は同意した範囲外の事項についてまで拘東されないことはいうまでもない。SCAPIN第六七七号で明記されていた竹島の名が、対日平和条約において消されているのは、実質的に意味があると考えねぱならない。*24
 韓国は、同条約第二条a項で三つの大きな島が列記されてあるのは、決して竹島を韓国領土から除外する目的をもっているのではないという見解を示した。もしそうなら、韓国周辺のすべての島は、同項に列記されてい汰けれぱならないはずであり、三大島は代表的な島として例示されただけだというのである。しかし、地図を見ればすぐわかるように、巨文島は決して大きな島ではない。むしろ、巨済島の方がはるかに大きく重要な島である。平和条約で巨済島の名がなく巨文島にふれているのは、前者が朝鮮本上に膚接し、その所属については特に言及する必要がないのに反し、巨文島は本土からやや離れ、済洲島、欝陵島とともに朝鮮領域の最外郭線を形成するものであるからにほかならない。それ故、対日平和条約の当事者が、欝陵島からさらにずっと外側にある竹島をもし朝鮮領として認める意図があったとしたなら、条約中に明記しておかなけれぱならなかったことは疑いないのである。



 *23 この点については、植田捷雄「竹島の帰属をめぐる日韓紛争」、『一橋論叢』五四巻一号、二二-二六頁に詳しく論じられている。
 *24 高野雄一『日本の領土』(昭和三七年)六九頁も、同じ見解である。


  • 最終更新:2010-03-07 08:59:21

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