官撰地誌における竹島・松島 take_8591

 半月城さんの「明治政府の竹島=独島認識」は次にあります。

 「日本地誌提要」の「巻50隠岐」には次のように記載されています。
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  島嶼
    島津島・・・松島一名島山・・・大森島・・・○本州ノ屬島・・・合計179之ヲ総称シテ隠岐ノ小島ト云○又西北に方リテ松島竹島ノ二島アリ土俗相傳テ云フ・・・松島・・・海路凡69里・・・竹島・・・海路凡100里・・・朝鮮ニ至ル海路136里・・・

  この史料を元に半月城さんは、「この官撰地誌において竹島・松島が本州の属島とは別に記載されたが、これは重要である。両島が本州の属島でなければ、もちろん九州や北海道の属島でもなく、両島は日本の領土外として扱われたと解される。」と主張されます。同じ主張が[No.16105]にもあります。

  先ず驚くべきは、半月城さんが「本州」を青森から下関で構成される「本州」と解していることです。ここでの「州」は「国」の意味であり、隠岐国を指すことに疑いはありません。こんなことは半月城さん百も承知でしょう。文言解釈は自己の理念に合うように為されるべきと考えられているのでしょう。どの様にでも解釈できるものなれば、インパクトの強いものを採用する方針の様です。

  問題は、「本州の属島・・・又西北に松島竹島・・・」の部分です。
  私は、次のように解釈します。
  日本地誌提要は、77個の袋に分類されています。50番目の袋は隠岐と命名されています。この隠岐の袋を開けると、領域・形勢・・・海峡・島嶼・暗礁・・・と多くの袋が表れます。この島嶼の袋を開けると、「島津島・・・」「本州の属島」「又西北に方リテ松島」の袋が表れます。この「本州の属島」と「又西北に方リテ松島」は袋が違いますから、松島を「本州の属島」の外と解することに問題はありません。しかし、この「本州の属島」と「又西北に方リテ松島」は、「島嶼」の袋の中に入っていますから、松島を本州の「島嶼」内と解するのが相当です。

  尚、1905年に吉田東伍が著した「日本地名辞書」は、「地誌提要には隠岐の国に附載して曰く」としています。
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  半月城さんの間違いは、「島嶼」というヘッダーを抜かして説明していることです。


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  更に、半月城さんは、学雑誌210号で「本誌200号に掲げた記事は、全く竹島の記事に非ずして、鬱陵島の記事なるが如し。」と本人が否定している論文を参照して、「明治時代の地理学者である田中阿歌麻呂もその(両島は日本の領土外として扱われた)ように理解して『地学雑誌』200号にこう記した」と主張されます。本人が否定していても、「どこまでをリアンクールとして、どこから欝陵島と勘違いしたのかを読み取ること(No.16140)」が必要であると主張します。しかし、本人が否定している論文の中身を詮索して、ここは正しい・ここは勘違いと評価を入れた結果は、それは執筆者本人の主張ではなく、半月城さんの主張に過ぎないと思います。

  これらは、史料の改竄にも相当するものです。少なくとも、史料解釈に公平性は無く、我田引水がひどすぎます。必要な文言を抜かしてでも、本人が否定している論文でも、自分の都合の良いように解釈して、「自己の主張にブレがない」様に演じているのです。

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  以上は、No.16105、No.16134、No.16140、No.16141を現在の私がまとめたものです。

  • 最終更新:2009-02-26 07:16:07

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