朝鮮領だったと明確に示す資料
朝鮮領だったと明確に示す資料 2010/ 3/14 13:17 [ No.17860 / 17864 ]
** 投稿者 : h369jp [#xe7869e1] >では島根県編入以前に竹島は明確に日本領だったのかというと、江戸時代から竹島を利用していたとか、いや国家の領土としては定まっておらず無主地であったので島根県に編入して領土として明確にしたとかいろいろ解釈はあるようですが、少なくとも朝鮮領だったと明確に示す資料はありませんよね?
#search='朝鮮舟着岸一巻之覚書'
元禄時代、隠岐の役人が鳥取藩へ向かう途中の朝鮮人を取り調べ書き残したものには 独島が江原道に属する朝鮮領であることが明記された八道総図を持参していたって書いてあるよ。
Re: 朝鮮領だったと明確に示す資料 2010/ 3/14 14:19 [ No.17861 / 17864 ]
** 投稿者 : take_8591 [#oc2eabe4] 安龍福の「公方様へ差上侯書物、或は因幡領主に差出侯書物(竹島紀事)」は、鳥取藩によって押収され、(その情報が)幕府から対馬藩に渡ったと思われます。
そこで、対馬藩から「去秋、貴国人呈書の事あり、朝令に出ずるかと」質問すると、
朝鮮は「漂風の愚民に至りては、たとい作為する所あるも、朝家の知る所にあらず」と回答し、さらに「呈書の事に至りては、誠に其の妄作の罪あり」と回答している。この対馬朝鮮のやりとりは、外交文書として現在に伝わっています。
要するに、安龍福の「于山島が朝鮮領である」との宣言に対し、朝鮮は「朝家の知る所にあらず」「其の妄作の罪あり」と公式に否定の回答したことが判ります。
このことからすれば、安龍福の活動とそれを否定した朝廷によって、朝鮮が鬱陵島以外に領有する島の無いことを認めたことになります。
返信
これは メッセージ 17860 h369jp さんに対する返信です
- 最終更新:2010-03-14 15:51:24