第 三号 天保の渡海禁止令
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今度 松平周防守元領分 石見国濱田松原浦に罷在候 無宿八右衛門
竹島へ渡海致し候一件 吟味之上 右八右衛門 其外夫夫 厳科に被行候
右島往古は 伯州米子の者共渡海 魚漁等致し候得共
元禄之度 朝鮮国へ御渡に相成候以来 渡海停止 被仰出候場所に有之
都て 異国渡海之儀は 重き御制禁に候條
向後 右島之儀も 同様相心得 渡海致間敷候
勿論 国々の迴船等 海上に於て異国船に出会ざる様 乗筋等心掛可申旨
先年も相触候通り 弥相守 以来は 可成尤も 遠沖乗不致様 乗迴り可申候
右之趣御料は 御代官私領は 領主地頭より 浦方村町共 不洩様 可触知候
尤も触書之趣板札に認め 高札場所へ掛置可申者也
酉二月 右之通 可被相触候
この度、松平周防守の元領地である石見国の浜田松原浦に住んでいた無宿八右衛門が竹島(欝陵島)へ渡海した一件、吟味のうえ、右八右衛門その他はそれぞれ厳罰に処された。
右の島は、昔は、伯耆・米子の者たちが渡海して漁労などをしたが、元禄期に朝鮮の国へお渡しになった時から渡海停止が仰せつけられた場所である。すべて異国へ渡海することは重いご禁制である。今後、右の島のことも同様に心得て渡海してはならない。
勿論、国々の廻船などは海上で異国船に出合わないように、乗り筋などを心がける旨を先年も触れたとおりであるが、いよいよ守り、以後はなるべく遠い沖へ出ないように乗り回すことを申しつける。
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(天保8年)2月
此事や 朝鮮政府に関渉するに至らすと雖 其重刑に処
せらるるを以て 爾来維新の後に至る迄 又人の竹島の
事を言ふ者なし
- 最終更新:2009-03-01 00:15:31