1 はじめに

  日本で竹島=独島は江戸時代から明治初期にかけて松島と呼ばれ、欝陵島が竹島あるいは磯竹島と呼ばれていた。ただし、松島といっても松の木はおろか、樹木は1本もなかった。それにもかかわらず松島と呼ばれたのは、竹島と一対ないしは竹島の属島と考えられ、縁起の良い「松竹」にちなんで付けられたようである。その竹島や松島を明治政府がどのように認識していたのか、当時の官撰地誌や官撰地図などで明らかにする。

  なお、文中の「竹島」は引用文などを除いて原則として現在の欝陵島をさし、「松島」は竹島=独島をさすものとする。また、明治時代の文書はほとんどがカタカナ書きであるが、読みやすさを考慮し、これをあえて平仮名に変換した。同様に旧漢字は新漢字に変えた。


質問集

2)別刷(朴炳渉「明治政府の竹島=独島認識」)で欝陵島の「欝」の字が誤っている。この一事を取りあげても、この別刷は信頼できない。

答)現在の日本では主に「鬱」が使われますが、朝鮮史書や明治時代の日本ではほとんど別刷に書かれた「欝」が使われました。現在の日本で欝と鬱はお互いに異体字とされているので、どちらを使用しても誤りではありません。別刷は特に歴史を重視して「欝」を使用しました。

  • 最終更新:2009-02-27 22:26:51

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