9 まとめ

  明治政府は、竹島に関して江戸時代の歴史を丹念に調べ、『磯竹島覚書』を編纂した。それにより、江戸幕府が竹島(欝陵島)を日本領でないと判断して同島への渡航の禁止を朝鮮へ伝達したことを確認した。さらに、江戸幕府が竹島と共に松島がいずれの藩にも属さないと理解した史実などを確認した。そうした歴史認識に立ち、内務省は1877年に島根県から竹島・松島の地籍編纂に関する伺書が提出された時、両島を日本の版図外と判断したのである。そのうえ、念のため「版図の取捨は重大の事件」との認識から慎重に太政官へ伺書を提出して承認を得た。こうして、竹島・松島が日本の領土外であることを明治政府は公式に確認したのである。

  その明治政府の決定に沿って内務省は官撰地図や官撰地誌において欝陵島と竹島=独島を日本領外として記述したのであった。これは内務省に限らず、文部省や陸軍省なども同様に独自の官製地図において竹島・松島を日本の領土外として記述した。また、海軍省も同様の方針で竹島・松島を『日本水路誌』に記述せず、『朝鮮水路誌』に掲載したのである。

  その後、帝国主義国家として発展した日本は、日露戦争の最中に「時局なればこそ、その領土編入を急要とするなり」との判断から竹島=独島の領土編入を閣議決定した。その際の名分は、竹島=独島は「無主地」であるというものであった。これは現在の日本政府が主張する「竹島固有領土」説と相いれないことはいうまでもない。


質問集

3)竹島問題は国際司法裁判所で解決すべきではないか?

答)竹島(独島)問題を国際司法裁判所で扱うことには疑問がふたつあります。
  ひとつは国際法への疑問です。戦後の国際法は国連の平和理念などを取り入れているのであまり問題ないのですが、戦前の国際法では侵略戦争すら合法とされました。そのため、戦後の国際法とは性格が著しく違うので、戦前の国際法は万国公法と呼んで区別すべきです。その万国公法で、香港返還前にもしアヘン戦争や香港返還を裁いたら、おそらく侵略戦争を起こしたイギリスが勝ったことでしょう。そのような万国公法をもとに1905年当時の竹島問題を国際司法裁判所で扱うのは疑問です。
  もうひとつの疑問は日韓協定です。日本は竹島問題を国際司法裁判所で扱う目途がつかないうちは日韓協定を結ばないと主張していましたが、結局はその主張を引っ込めて紛争解決の交換公文を結びました。交換公文の中で紛争の解決は国際司法裁判所でなく第三者の調停によるとされました。したがって、竹島問題を国際司法裁判所で扱うのは日韓協定の精神に反するので疑問です。
  一方、日本では竹島問題を国際司法裁判所で解決すべきであるとの主張がよくなされますが、領土問題を国際司法裁判所で解決をはかろうとするなら、北方領土問題も国際司法裁判所で解決するよう主張すべきです。そうした声が聞かれないのはダブルスタンダードではないでしょうか。


6)鈴木宗男議員の政府に対する竹島質問をくわしく教えてください。

答)2008年11月10日、鈴木議員は議員の権利を行使し、質問趣意書第222号を衆議院議長へ提出して、竹島問題をこう質問しました。

  「竹島問題についての政府冊子に関する再質問趣意書
  本年十月一日、新幹社より発行された、「竹島=独島問題入門 日本外務省『竹島』批判」という題の内藤正中島根大学名誉教授の著書では、「竹島を理解するための十のポイント」が徹底的に批判されている。そのことについて外務省は「前回答弁書」で「御指摘の著書については承知しているが、当該著書に対する外務省の見解等についてお答えすることは、竹島の領有権に関する我が国の立場を主張し、問題の平和的解決を図る上で、今後の事務の適正な遂行に支障を及ぼすおそれ等があることから、差し控えたい。」と答弁しているが、竹島問題に関する外務省、ひいては政府の立場、見解と異なり、しかも日本人によりなされている「主張」に対して、外務省として何ら反駁せずに静観することは、韓国に対してつけいる隙を与え、逆に竹島問題の平和的解決を図る上で、今後の事務の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるのではないか」

  この質問に対して日本政府は下記のように回答し、実質的な回答を避けました。

  「政府として、大韓民国側の対応について予断を持って判断することは差し控えたいが、いずれにせよ、竹島の領有権の問題に関する我が国の立場を主張し、問題の平和的解決を図る上で、今後の事務の適正な遂行に支障が及ばないよう適切に対応していく考えである」


8)韓国は李承晩ラインを突然設け、竹島周辺で日本漁船を銃撃で排除したではないか。

答)李ラインはGHQのマッカーサーラインを引き継いだもので、竹島(独島)周辺の線引きは両者ほとんど同じでした。李ラインが引かれる数カ月前、マッカーサーラインを侵して拿捕された日本漁船は数十隻にのぼりました。そのため、もしマッカーサーラインがなくなったら、極度の食糧難にあった日本の乱獲は必至であり、漁業資源の枯渇は自明でした。そのため、李ラインが引かれました。
  なお、李ラインを侵して拿捕された日本漁船は二百数十隻にのぼりますが、竹島(独島)周辺で拿捕された日本漁船は1隻もありません。その海域は漁場としてほとんど注目されていませんでした。日韓会談で問題になった漁場は済州島周辺や黄海などでした。竹島(独島)周辺は海が深いため、当時は漁場として魅力がなかったようです。


9)竹島問題解決への道は?

答)現状は、日韓両国民の間で竹島問題に対する理解はあまり進んでいません。たとえば、朴裕河さんは本を書くにあたって竹島問題を充分勉強して書いたはずなのに、それでも基本的な重要事項を誤っています。韓国でも日本でも竹島問題が正しく理解されず、感情的な発言が多いのが実状です。
  日韓両国で共通理解を得るには、専門家による共同研究を進めるのがいいと思います。現在、日韓政府間で歴史共同研究委員会が設けられていますが、そこで竹島問題を扱えばいいと思います。あるいは、この委員会の韓国メンバーは国家を背負って出席するので議論はむずかしいとの意見もあるようですが、少なくとも今日お話しした明治時代の歴史については日韓の研究者の間でほとんど見解の違いはないと言っても過言ではありません。ただし、自己の主張にブレがある人は問題外です。それは拙論「下條正男の論説を批判する」(嶺南大学『独島研究』4号)に書いたとおりです。
  歴史共同研究の成果を公表することにより、日韓で共通理解が少しずつ得られるのではないかと思います。それまで竹島(独島)問題の和解論は時期尚早だと思います。

  • 最終更新:2009-02-27 22:35:12

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