080107 田中阿歌麻呂
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明治時代の地理学者である田中阿歌麻呂もそのように理解して『地学雑誌』200号にこう記しました。
「明治初年に到り、正院地誌課にてその島(竹島=独島)が本邦の領有を完全に非認したので、その後の出版された多くの地図はその所在を示さないようである。明治八年 文部省出版 宮本三平氏の日本帝国全図にはこれを載せても、帝国の領土外に置き塗色せず」
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一方、田中さんは「地学雑誌」を次に紹介しています。
地学雑誌 第200号
地学雑誌 第210号
田中さんのHPによると、田中阿歌麻呂は地学雑誌210号で、「本誌200号に掲げた記事は、全く竹島の記事に非ずして、鬱陵島の記事なるが如し。」と半月城さんが紹介した記事を訂正しています。もっとも、私程度の知識でも、200号の記事を読んで「リャンコ島とダジュレー島を混同しているな」と感じることが出来ました。
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> この調子では、田中阿歌麻呂が論文の中でどこまでをリアンクールとして、どこから欝陵島と勘違いしたのかを読み取ることは困難でしょうね。
との事ですが、田中阿歌麻呂は、地学雑誌210号で「本誌200号に掲げた記事は、全くの間違い」としているものと解していますので、「どこから欝陵島と勘違いしたのかを読み取る」必要性を感じていません。その必要性を感じていた半月城さんが、どうして[ No.16105 ]の記事を投稿されたのでしょうか。
> そうだとしたら、地図すら確認せず安易に長々と書きこんで、恥ずかしくないのでしょうか?
この言葉は、そのまま半月城さんにお返しします。
- 最終更新:2009-03-03 07:03:39