090318

 山岳付きの于山島


 半島側にある于山島


  1417年に金麟雨が「15戸・86人が住む」と報告し、1454年に「二島は相去こと遠からず、(二島は半島から)望見すること可」とされた于山島には、水源の必要から当然山岳があると考えられていました。この認識は、元禄日朝交渉終了後もしばらく続いていた様です。半島側に于山島を描いた地図が数点残っています。

   天下大摠一覽地圖 1700-50 始興
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   『地圖』江原道 1700-50 奎章閣
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   輿圖 1700-99 m
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   輿地圖 朝鮮總圖 江原道 1700-99 m
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 東西に長い于山島


  1700年代中段になると、目盛りを用いた地図が作成されるようになります。ここでは、鬱陵島から5Km程離れた所に于山島が描かれています。この于山島には山岳が描かれています。この山岳の意味ですが、于山島以外の無名島にも山岳が描かれていることから、海面からそそり立つ岸壁を山に看做したとも考えられます。しかし、鬱陵島周辺については実地見聞者からの情報は殆ど入らず、その殆どが地図作成者の空想であると考えられます。

   朝鮮地圖 1750-68 奎章閣
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   地圖 江原道 鬱陵島 1800-99 m
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 南北に長い于山島


  1700年代後段からは、南北に長い于山島が主流になります。勿論、目盛は踏襲されますから、鬱陵島から5Km程離れた于山島の概念は変わりません。しかし、南北に長く、北に山、南に平野が描かれていますから、于山島に上陸した実地見聞者の情報が入っていると考えられます。しかし、鬱陵島南部にある無名5島の存在は事実と異なりますから、地図作成者の空想部分も大きいと考えられます。

   『海東輿地圖』 鬱陵島 1776-86 図書館
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   東輿圖 鬱陵島 1795-1800 m
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   靑邱要覧 鬱陵島 1834 m
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   靑邱圖 (鬱陵島) 1834 m
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   靑邱圖 鬱陵島 1860-72 m
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 丸い形の于山島

  鬱陵島南部にある無名5島の存在は1899年の大韓全図に引継がれていますから、李氏朝鮮が鬱陵島周辺を正確に認識したことは無かったと考えられます。こうした時期に『海左全圖』等が作成されています。『海左全圖』の作者が鬱陵島周辺を正確に認識していたとはできません。ましてや、リャンコ島の形便を認識できていた筈がありません。
  むしろ、『海左全圖』等は、半島側にあった于山島を東側に移しただけで、実地見聞者の情報を全く得ていなかったと考えるのが相当です。

   大朝鮮國全圖 1750-99 ビーバーズ
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   海左全圖 1800-99 m
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   National Geographic - Korea 1890 m
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   大韓地誌 大韓全圖 江原道圖 1899 m
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  • 最終更新:2009-03-18 16:36:51

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