15115 しばしば漁採する=うわさ

 当局の地図に日本領「竹島」はなかった1

2006/10/29 16:29 [ No.15111 / 17395 ] 
投稿者 :  ban_wol_seong  
 
  半月城です。

  Am_I_AHO_1stさん、Re:15022
>神戸大学のミスと云うことだ。

  もし、神戸大学の所有する長久保赤水「日本輿地路程全圖」が、同大学の言うように、ほんとうに安永4(1775)年に発刊されたのなら大発見です(注1)。
  しかし、これは Am_I_AHO_1stが見抜いたように、後の時代の地図と思われます。一般に赤水図が安永年間の初版かどうか見分けるのは簡単で、赤水の子孫である長久保光明氏はこう記しました。
       --------------------
  初版は、安永己亥春(1799)と浪華の発行所名がある。赤水が松岡七友の鈴木玄淳宛書簡に、安永九年に発行される、とあるのは「発売」の意味である。今も発行年月の記載よりも3か月、6か月おくれて発売されることもある。なお、国別・山川・道路は有彩色。
 ・・・・
  初版と再版以後の区別
  この区別も混同されて記される。初版は、再版以後に図の上方左側にある枠内の「東都榊原隠士考証」の潮汐の解説がない。従って区別もできるし、古地図購入の時も初版は高価である(注2)。
       --------------------

  長久保氏の区別ノウハウにしたがえば、神戸大学の赤水図には安永八年己亥春と浪華の発行所名がない一方で、地図の左上に潮汐の解説とおぼしき枠があるので、再版以降の地図と推測され、Am_I_AHO_1stさんの言うとおり弘化三年版に相違ありません。神戸大学の鑑識眼を疑わざるを得ません。

  初版の地図でウェブ上に公開されているのは下記2点でしょうか。他にもあったら、教えてください。
1.東北大学狩野文庫
2.明治大学蘆田文庫

  これらの赤水図で松島と竹島間のすき間に書かれている一節「見高麗如自雲州望隠州」は、再版以降の地図、Am_I_AHO_1stさんのいう「劣化コピー」でもよくキープされているようです。なお、その一節は日本の領土であることを示すものでないことは池内敏教授により論証されたとおりです(注3)。
  その一方、初版本で松島、竹島は朝鮮半島同様に着色されていなかったのに対して、弘化年間の「劣化コピー」で着色されて日本領と誤解されるようになったのは、その当時は日本人の竹島(鬱陵島)における密漁が絶えなかったことを反映した結果と思われます。
(つづく)

これは メッセージ 15022 Am_I_AHO_1st さんに対する返信です


 当局の地図に日本領「竹島」はなかった2

2006/10/29 17:51 [ No.15112 / 17395 ] 
投稿者 :  ban_wol_seong  
 
  弘化以前、1710年の朝鮮王朝実録に「倭船がしばしば漁採することは嘆かわしい」と書かれたように日本人の竹島(欝陵島)密航がありましたが、19世紀になって 1836年には浜田藩あげての竹島密貿易事件「会津屋八右衛門事件」が発覚するなど、日本人の竹島(欝陵島)密航は絶えなかったようです。
  その結果、1850年代に長州藩では竹島(鬱陵島)開拓が真剣に論議されるまでになりました。そうした世相が、松島・竹島の着色に反映されたのではないかと思われます。

  このような経緯から、竹島(欝陵島)は日本領であるという「俗言」が生まれたのでしょう。しかし、そうした俗言がどうであれ、重要なのは公的な当局が松島、竹島をどう認識したかということです。
  その認識は地図などに表現されるのですが、神代の大昔から戦後の1975年にいたるまで、日本の公的な地図作成機関が発行した地図で欝陵島や竹島=独島を日本領として描いた地図は一枚もないようです。
  そうした地図を「竹島日本領派」の面々が必死に探したのでしょうが、徒労に終りました。結局、竹島=独島を日本の「固有領土」とする意識は幻だったといえます。

  Re:15005
> 日本の陸軍陸地測量部は、内務省地理局を統合したものですから、当時は日本で唯一の公的地図の発行機関でした。現在の国土地理院の前身でもあります。

  第2次大戦後、唯一の公的地図作成機関である国土地理院が 1975年に発行した「国土基本図 作成地域一覧図」でも、みごとに竹島=独島が除かれました(注4)。外務省がいくら竹島=独島を日本の固有領土と主張しようが、地図作成当局は根拠のない話においそれと乗らなかったようです。あっぱれです。

(注1)神戸大学住田文庫「日本輿地路程全圖 : 改正、安永4(1775)年」
(注2)長久保光明「長久保赤水の日本地図編集のあらまし」『歴史地理学』第127号,1984
(注3)池内敏「前近代竹島の歴史学的研究序説」『青丘学術論集』2005
(注4)保坂祐二『日本、古地図にも独島はない』(韓国語)子音と母音社、2005


これは メッセージ 15111 ban_wol_seong さんに対する返信です


 Re: 当局の地図に日本領「竹島」はなかった

2006/10/29 20:16 [ No.15113 / 17395 ] 
投稿者 :  kana_ikeuchi  
 
>当局の地図に日本領「竹島」はなかった・・・・

朴さん、半島には当局どころか、民間の地図、史料にも
朝鮮領独島はなかった。

いろいろ書かれていますが1ページ目要約すればそういうことでしょう。
長久保赤水の「日本輿地路程全圖」はこの当時の日本の地図制作技術の
高さを物語るものです。

池内敏氏を持ち出しているようですが、赤水の地図に書き込まれた
「見高麗如自雲州望隠州」について、彼が何か申しておりますか?

関連のない論述を意味ありげに、とり上げることは人々に誤解を生じよ
うと計る詐話にあたります。日本人は竹島が自国領土であることを知り
尽くしているから、誰もが聞き流すでしょうけども。

その他の話も半月城と名乗った頃のあなたの栄光をおとしめるだけでしょう。

2ページ目も、またかと「ジョーカ」でなくても、ぽいしたくなる代物です。


日本海における漁業、海運が江戸幕府開幕以来、栄えていろいろな活動が
行われ、その記録などが書かれ書き残されています。これが血眼になって
竹島周辺の半島人の活動記録を探しても何も出てこないお国との違いです。

日本が何する必要もなかったし、そんな気もなかったことは現代から振り
かえってみて、よく理解できる事柄です。物々しく書いたって何の変鉄も
ないことばかり。

 なには、ともあれ朴さんが、何を主張し何が言いいたいのか私ども
 にはサッパリ伝わって来ませんね。
これは メッセージ 15112 ban_wol_seong さんに対する返信です  

 朝鮮の文献でも朝鮮領「独島」はない

2006/10/30 0:41 [ No.15114 / 17395 ] 
投稿者 :  sueingsue67  
 
朝鮮は1900年勅令41号を発布するが、欝陵島と近辺の石島、竹島(現在のではない)を行政区分に含めることを定めているが、位置的把握を示す能力は当時の朝鮮には持ち合わせていない。一方日本側の1852年の「増訂大日本国郡輿地路全図」にも竹島、松島(現在の竹島)が描かれている。朝鮮人にこれだけの地理的位置把握能力があったとはとても思えない。朝鮮人の玄采の大韓地誌でもリャンコ島を朝鮮領とはしていない。その後も朝鮮人の文献でリャンコ島を朝鮮領とする文献は存在しないし、朝鮮人はリャンコ島の存在を認識していない。世界史上国際的に帰属が明確になったのは、1905年の島根県告示第40号によるものが最初であり、領土の帰属は、どちらが先に発見したかではなく、どちらが先に国際社会から認知されたかが問題となるのである。当時地理的位置把握能力に欠ける民族が、なぜその島を自国の領土だと主張できるのであろうか。従って国際司法裁判所での係争は朝鮮人(韓国)にとってきわめて不利な条件を呈している。韓国の中にも、竹島が、誤認と勘違い、都合の良い解釈と李承晩ラインにより日本から掠めとろうとしている事を知っているから、ハーグでの係争から逃げているのよ。下劣、かつ卑劣な民族。  
これは メッセージ 15112 ban_wol_seong さんに対する返信です


 しばしば漁採する=うわさ

2006/10/30 7:50 [ No.15115 / 17395 ] 
投稿者 :  take_8591  
 
>1710年の朝鮮王朝実録に「倭船がしばしば漁採することは嘆かわしい」と書かれた。

 その密漁者を逮捕して対馬藩に引き渡した実績があるのでしょうか。
 こうした証拠が確認できなければ、単なる「噂話」ですよね。
 丁髷で羽織袴の漁師が官吏の一喝で逃げ出した、という程度の「噂話」ですよね。
 捕まえてみなければ、密漁者が日本人か朝鮮人か、判りませんよね。

 実録というのは、朝鮮の歴史書ですよね。
 そこに、この程度の「噂話」が載るのでしょうか。

これは メッセージ 15112 ban_wol_seong さんに対する返信です


 国土基本図作成地域一覧図

2006/11/ 3 23:08 [ No.15131 / 17395 ] 
投稿者 :  chaamiey  
 
> 第2次大戦後、唯一の公的地図作成機関である国土地理院が 1975年に発行した「国土基本図作成地域一覧図」でも、みごとに竹島=独島が除かれました(注4)。外務省がいくら竹島=独島を日本の固有領土と主張しようが、地図作成当局は根拠のない話においそれと乗らなかったようです。あっぱれです。(No.15112)



 国土基本図作成地域一覧図とは、国土基本図を作成する計画かまたは作成実績を示すものでしょうね。


 (引用)
 国土基本図には縮尺2,500分1と5,000分1の2種類があります。1960年(昭和35年)から作成に着手し、その特徴は地域の実態を詳細に表現し、国及び地方公共団体における合理的な行政施策を推進するための役割を果たし得る、一般的な性格を持つ大縮尺の地図です。
 全国の平野部やその周辺部の都市について整備することを目標に始められました。都市部に関しては、関係地方公共団体と共同で作成しています。
 建物が一軒ごとに表現されたり、縮尺の制約による省略が少ないので実際の状態がそのままわかる地図です。主に公共事業の調査、計画、立案などに利用されています。



 国土基本図を作成するにはまず調査が必要なはずですが、1975年ならば竹島は韓国が占拠して実効支配しています。国土地理院としては紛争を起こす覚悟なしには竹島の現地調査はできないし、また、国土基本図の作成目的が上のようなものであるなら、無人島の小さな岩礁とも言うべき竹島に関して、無理をして詳細な地図を作成する必要性も低いですね。


 作成地域一覧図に竹島が記載されなかったのは「根拠のない話」だったからではなく、当時の状況においては、竹島の区域については国土基本図を作成しないことにしたのではないでしょうかね。

これは メッセージ 15112 ban_wol_seong さんに対する返信です


 Re: 当局の地図に日本領「竹島」はなかった

2006/11/ 5 18:48 [ No.15132 / 17395 ] 
投稿者 :  puracyaka0414  
 
久し振りに投稿します。
中央公論11月号に神戸大の芹田教授が寄稿していますが、国際司法裁判所に提訴した場合、韓国の勝ち目はほぼ無いということは韓国側も自覚しているようですね。

>その認識は地図などに表現されるのですが、神代の大昔から戦後の1975年にいたるまで、日本の公的な地図作成機関が発行した地図で欝陵島や竹島=独島を日本領として描いた地図は一枚もないようです。

↑もう反証出されてますね。(爆笑

これは メッセージ 15112 ban_wol_seong さんに対する返信です


 芹田健太郎氏の日韓領土問題打開策

2006/11/ 6 23:06 [ No.15136 / 17395 ] 
投稿者 :  ararenotomo  
 
puracyaka0414さん 

中央公論2006年11月号の芹田健太郎「日韓間領土問題の大胆な打開策:竹島を「消す」ことが唯一の解決法だ」の紹介を有難うございます。

芹田健太郎氏は前提記事の中で次のような提案をしております。「日本が竹島を韓国に譲渡または放棄し、韓国の竹島に対する主権を認め、同時に、西日本海での魚業資源の保全のため日韓がそれぞれ資源管理を進めることができるように鬱陵島と隠岐諸島を基点として排他的経済水域の境界画定を行う。そして、竹島は自然に戻し、自然保護区として十二カイリの漁業禁止水域を設け、すべての国の科学者に解放する。」

私はこの提案に基本的に賛成します。

これは メッセージ 15132 puracyaka0414 さんに対する返信です


 Re: 芹田健太郎氏の日韓領土問題打開策

2006/11/ 7 21:22 [ No.15138 / 17395 ] 
投稿者 :  puracyaka0414  
 
>>私はこの提案に基本的に賛成します。

あらゆる意味で軽率かつ無責任な発言です。お話になりません。
第一に、教授は韓国が友好国だなどというとんでもない誤解から出発している点で全く駄目です。
第二に、大国である日本は紛争の平和的解決のための制度そのものに対して責任を負わなければなりません。韓国の不法行為を追認するがごとき態度は、結局は「やった者勝ち」の風潮を生むことでしょう。
第三に、韓国に譲歩すれば、北方領土の解決が不可能になります。

これは メッセージ 15136 ararenotomo さんに対する返信です


 Re: 芹田健太郎氏の日韓領土問題打開策

2006/11/24 21:15 [ No.15179 / 17395 ] 
投稿者 :  ararenotomo  

芹田健太郎氏は「日韓間領土問題の大胆な打開策:竹島を「消す」ことが唯一の解決法だ」(中央公論2006年11月号)で、「日本人が韓国人との和解の印に、日本が竹島を韓国に譲渡または放棄し、韓国の竹島に対する主権を認め、同時に、西日本海での魚業資源の保全のため日韓がそれぞれ資源管理を進めることができるように鬱陵島と隠岐諸島を基点として排他的経済水域の境界画定を行う。そして、竹島は自然に戻し、自然保護区として十二カイリの漁業禁止水域を設け、すべての国の科学者に解放する。」という案を示しました。

この提案には正直、私は大変驚きました。

芹田教授は、『日本の領土』(中公叢書, 2002)や『島の領有と経済水域の境界画定』(有信堂, 1999)で竹島問題を論じています。その中で、竹島は古くからの韓国領土であるという韓国の主張は、「今日の竹島が古くから韓国領土であったとする主張は必ずしも充分な歴史的根拠をもつものではない。」「今日の竹島が鬱陵島の属島であると断言することはできまい。」「歴史的には韓国の支配は今日の竹島には一度も及んでいなかった、と推察される。」「竹島が歴史的に韓国に属すべき正当な理由は見出し難い。」等と否定しました。

一方、日本の主張に対しては、「大谷・村川両家は竹島に渡る途中にある松島も経営し、一六六一年頃新たに松島への渡航免許も下された。」「鬱陵島渡航禁止後も今日の竹島への渡航は禁止されることがなく、- - 『竹島図説』には「隠岐国松島」という表現があり、- - 松島が日本領であることが示されている。」「一八八三年の日本人一括引き上げの後も、日本の各地から鬱陵島へ渡航する者は跡を絶たなかったようであり、竹島経営も進められていった。」等と記し、「日本で日本の領土と考え、日本の領土として扱い、他国がそれを争わなければ、それで領有するには充分であった」として、日本による1905年の領土編入措置を認めました。

この様な芹田教授の所論は、外務省HPの「竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土である。」に通じるものがあり、芹田健太郎氏は「竹島日本領派」と目されてきました(Nos.806, 10390, 10391)。その芹田氏が「竹島放棄論」ともいうべき、全く大胆な提案をされたことに、「竹島日本領派」の方々は戸惑いと失望、そしてpuracyaka0414さん(No.15138)のように、激しい怒りを感じられたと思います。

芹田教授は1999年に竹島と尖閣諸島を自然保護区にすることを提案しました。ただし、芹田(2002)では国家の主権主張は凍結し、また「政治は国民と領土を守ることを忘れていないか」(中央公論2004年10月号)では日本・韓国共同の管理下に置く、というものでした。ところが今回の提案では、「日本が竹島を韓国に譲渡または放棄」とまで踏み込みました。しかし、「竹島は我が国固有の領土」という外務省見解を残したまま、ただ単に植民地支配について、「韓国民に対し反省と心からのお詫びの気持ち」で「韓国の竹島に対する主権を認め」るのでは、日本人は勿論、韓国人も釈然としないでしょう。

従って、puracyaka0414さんの指摘「大国である日本は紛争の平和的解決のための制度そのものに対して責任を負わなければなりません。韓国の不法行為を追認するがごとき態度は、結局は「やった者勝ち」の風潮を生むことでしょう。」は当然で、芹田氏はそれに答える責任があると思います。

下條正男氏も「竹島問題と日本の課題」(岩下明裕編『国境・誰がこの線を引いたのか―日本とユーラシア』北大出版会, 2006)で、外務省を次のように批判しています。「韓国側は一九〇〇年の時点で、竹島は韓国領になっていたと主張するのです。(中略)これに対しても、日本の外務省は目ぼしい反論をしていません。日本は一九六五年前後の説を使って、四〇年前の説を繰り返すだけなのです。日本側は韓国側の新たな知見に対抗すべき論拠をもっていないのです。」

もしそうならば、「竹島は我が国固有の領土」とは、もはや言えないでしょう。しかしながら、そこのところは曖昧にして、元禄9(1696)年「竹島一件」落着の際、老中阿部豊後守正武が諭したように、「国家若兵威を以て是に臨まは、何をもとむとしてか得へからさらむ、但無用小島の故を以て、好ミを隣国に失する計の得たるにあらす、- - 其相争ふてやまさらむよりは、各無事ならむにハしかし、」(松浦允任『朝鮮通交大紀』1725, 田中健夫・田代和生校訂, 名著出版, 1978)とするもまた、日本人の良き知恵かもしれません。
これは メッセージ 15136 ararenotomo さんに対する返信です  

 Re: 芹田健太郎氏の日韓領土問題打開策

2006/11/24 21:32 [ No.15180 / 17395 ] 
投稿者 :  henchin_pokoider01  
 
そうだね。
韓国が「一度として竹島の権原を取得したことはなく、現在侵略中」
という事実を曖昧にしたままでは、駄目でしょう。

それはそうと、

>「韓国内部視察官」として1900年5月鬱陵島に派遣された禹用鼎は、
>鬱陵島附属の島嶼中最も著しい「于山島」が、鬱陵島民の間でソノ
>モノズバリの「石島」と呼ばれていることを知りました。

禹用鼎の鬱島記にソノモノズバリの記述は、にあったんですかな。
回答待ってるんだけど。それとも妄想?

これは メッセージ 15179 ararenotomo さんに対する返信です

  • 最終更新:2009-03-09 17:05:41

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