15655 参議寺島外務卿の印

 Re: 舩杉氏への批判?1

2007/ 7/ 7 23:27 [ No.15638 / 17395 ] 
投稿者 :  take_8591  
 
 次の舩杉氏の見解が[No.15629]に示されています。
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  明治初期における日本政府の地理的認識は、地図の分析から、竹島はアルゴノート島(実在しない島)、松島はダジュレー島(鬱陵島)にあったと考えるのが妥当であり、いわゆる「外一島」が現在の竹島を指していたかどうかは極めて疑わしいといえる(P155)。
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 又、半月城さんの見解が[No.15630]に示されています。
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 「磯竹島略図」に両島などの位置関係がこう記されました(注3)。
 隠岐と松島間; 隠岐 島後の福浦より松島を隔てる北東80里(320km)ばかり
 松島と竹島間; 松島より磯竹島を隔てる北東40里(160km)ばかり
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 然即、磯竹島略図に隠岐から320km離れていると記されている「松島」は、157km離れているリャンコ島と捉えるよりも、245km離れているダジュレー島と捉える方が妥当であり、いわゆる「外一島」が現在の竹島を指していないことは明らかである。
 と、半月城さんがその主張を変更したことの表明であると考えられます。

 この半月城さんの新しい見解は、ahirutousagi2さんの見解と一致し、日本の竹島固有領土説に何らの瑕疵がないことを表明したものと認められます。

 私の様な初心者は、どうしても、この様に捉えますね。


 Re: 舩杉氏への批判?1

2007/ 7/ 8 21:02 [ No.15639 / 17395 ] 
投稿者 :  ahirutousagi2  
 
そうですね。私の意見と一致するということはないでしょうが、ともあれ半月城さんもどうやらリアンクール岩の地理認識で太政官が版図外としたという理解はしていないようにも見えますね。

ともあれ、この部分については、以前に、14664, 14826あたりですでに論議したことがあるものです。

      • -------------
明治政府は「版図の取捨は重大之事件」との緊張感を持って竹島、松島を版図外にしました。それを ahirutousagi2さんは「その地理的な位置理解は、いわゆるアルゴノートとダジュレーに該当」と決めつけていますが、それでは明治政府の官僚をあまりにも見くびりすぎるのではないでしょうか。かれらはそれほど無能ではないと思います。
(14664)
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つまり、半月城さんの理解はアルゴノート・ダジュレー島と見まがうほど彼らは無能ではない、というものでした。で、

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その十年前の1867年、勝海舟の「大日本國沿海略圖」ですら、アルゴノートに相当する「竹島」は島の輪郭の半分が点線で書かれました。これを「疑存」の島というのでしょうか。勝海舟すら島の存在を半分疑問視していたようです。
  ahirutousagi2さんは、そんな地図を主張の柱にすえ、内務省の地理局はそうした疑存の島の位置情報を信じたと考えるのでしょうか? たとえ、内務省が作成した「大日本全國略圖」の島の位置が勝海舟の地図に似ていたとしても、それは単なる偶然の一致にすぎません。
(14826)
      • -------------

竹島・松島の位置が「大日本府県分轄図」と「大日本全國略圖」をはじめとする政府関連機関の地図と、完全に、あるいはほぼ一致することはあくまで偶然であり、位置情報が相当に異なる「磯竹島略図」こそが「大日本府県分轄図」の基になっているということのようです。

正直、いずれにしても私にはどうでもいいようにも思えてきています。半月城さんまで認めているように、松島は鬱陵島の位置で考えられていたということだけが確認できればそれでいいのです。

そして、竹島・松島の版図外との判断は確かにあったけれども、リアンクール岩=松島としての理解から版図外にされたことは、少なくとも資料上確認できないということで充分のように思います。

私は、明治政府は、リアンクール岩は無主地としての、岩礁のごときものに過ぎないと考えていたと思っています。


 Re: 舩杉氏への批判?1(訂正)

2007/ 7/ 8 21:14 [ No.15640 / 17395 ] 
投稿者 :  ahirutousagi2  

「大日本全國略圖」→勝海舟「大日本国沿海略図」の間違いです。

誤:竹島・松島の位置が「大日本府県分轄図」と「大日本全國略圖」をはじめとする政府関連機関の地図と、完全に、あるいはほぼ一致することはあくまで偶然であり、位置情報が相当に異なる「磯竹島略図」こそが「大日本府県分轄図」の基になっているということのようです。


正:竹島・松島の位置が「大日本府県分轄図」と勝海舟「大日本国沿海略図」をはじめとする政府関連機関の地図と、完全に、あるいはほぼ一致することはあくまで偶然であり、位置情報が相当に異なる「磯竹島略図」こそが「大日本府県分轄図」の基になっているということのようです。


 参議寺島外務卿の印

2007/ 7/10 21:55 [ No.15655 / 17395 ] 
投稿者 :  take_8591  
 
> この部分については、以前に、14664, 14826あたりですでに論議したことがあるものです。

  [ No.14772 ]に次の半月城さんの認識が載っていました。
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  太政官が竹島(欝陵島)と松島(竹島=独島)を版図外とした指令は、伺書が提出された内務省に対して回答されたので、外務省や海軍などがそれを直接知るのは困難です。他部署がそれを公式に知ることができるのは、内務省からそれについての通知があった場合のみです。実際、外務省はそうした公式通知で太政官指令を知ったようで、堀和生氏はこう記しました。・・・・・
     ------------------------
  どうやら、半月城さんは、岩倉具視と前島密だけの間で隠密裏に「竹島外一島を版図外とする」決定がなされたと考えておられるようです。「版図の取捨は重大事件」でありながら、「外務省や海軍などがそれを直接知るのは困難です」とも言われています。しかし、外務卿が「版図の取捨にかかる重大事件」を知らずに仕事が出来るでしょうか。ありえない事実認識です。

  公文録内務省の部を参照すると、大臣の下には「岩倉」の印があり、参議の下には「●島宗則」の印があります。
  この事実は、「竹島外一島を版図外とする」決定に寺島宗則外務卿が関わっていたことを示しています。

  半月城さんとか堀和生氏は、当時の明治政府が「ダジュレー島=松島」と捉えていた事実を認めたくないのでしょう。だから、この「隠密裏の決定」というありえない前提を設けて論を進めているのだと思います。

  • 最終更新:2009-03-10 01:43:33

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