16064 朴世堂『西渓雑録』の誤読、下條正男批判

 朴世堂『西渓雑録』の誤読、下條正男批判1

2007/12/29 10:16 [ No.16064 / 17395 ] 
投稿者 :  ban_wol_seong  
 
  半月城です。
  下條正男氏の「事実求是」を読んで、どうしてもコメントを書かずにはいられない心境です。同氏は、Web竹島問題研究所のホームページ「事実求是」第1回、「朴世堂の『鬱陵島』 」において韓国海洋水産開発院の柳美林博士が「漢文が読めないための誤謬」をおかしたと断言し、こう記しました。
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  朴世堂の「欝陵島」では、「(于山島と欝陵島の)二島、寧海を去ること甚だしくは遠からず」とし、「歴々見える」も寧海から見た于山島と欝陵島のことと解釈している。
に もかかわらず柳美林氏は、朴世堂の「蓋二島此(寧海)を去ること甚だしくは遠からず」を、「およそ二つの島(欝陵島と于山島)はそれほど離れていない」と 読み誤った。柳美林氏は「二島此を去ること」の「此」が寧海である事実を無視し、旧来の説を繰り返したのである。これは故意というより、漢文が読めないための誤謬である(注1)。
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  下條氏がこのように述べるのは、朝鮮日報の韓国語記事を引用してのことでした(注2)。しかし、同氏の翻訳には問題があります。下條氏が「およそ二つの島(欝陵島と于山島)はそれほど離れていない」と翻訳した部分は、ふつうなら yabutarou01さんが No.16028 で紹介したように「たいてい二つの島(鬱陵島と于山島)があまり遠くなく」と訳されます。
  すなわち、朝鮮日報は欝陵島と于山島がある場所から遠くないと書いたのに、下條氏は欝陵島と于山島がお互いにそれほど離れていないと無理な訳しました。これは下條氏が「韓文が読めないための誤謬」というより「故意」の我田引水をおこなったというべきかも知れません。下條氏は記事を『世宗実録』地理誌と結びつけて、こう記しました。
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  日韓はこれまで、この「二島相去ること遠からず」の解釈で争ってきた。韓国側は「二島相去ること遠からず」に次いで「歴々見える」の一文があるため、欝陵島から竹島が「見える」と読み、欝陵島から竹島が見えることが、竹島を韓国領とする証拠としてきた(注1)。
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  下條氏は、柳博士が韓国側の旧来の説を繰り返すために、朴世堂の『西渓雑録』を誤読して引用したと主張しているようです。しかし、そのような重大な指摘をする元ネタが新聞記事とは情けない話です。その記事には取材源が次のように記されました(yabutarou01さんの訳)。
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  韓国海洋水産開発院独島研究センター責任研究員であるユミリム(柳美林) 博士は最近この開発院が発刊する「海洋水産動向」1250号で「朝鮮後期朴世堂・1629~1703)」が書いた「鬱陵島」を分析した結果、于山島は鬱陵島ではなく独島を指すことが明らかにされた」と述べた。
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(つづく)


 朴世堂『西渓雑録』の誤読、下條批判2

2007/12/29 10:18 [ No.16065 / 17395 ] 
投稿者 :  ban_wol_seong  
 
  下條氏は「海洋水産動向」1250号をきちんと確認せずに、新聞記事を誤読し、柳博士が「誤謬」をおかしたなどと書くのは余りにも独善的ではないでしょうか。同書にて柳博士は「2島(欝陵島と于山島を指す、柳注)がここからさほど遠くなく」と正しく読みくだしており、下條氏の指摘が誤謬であることが明らかです。つぎに同書の関連部分を紹介します。
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「海洋水産動向」1250号
 「于山島は独島」を立証する朝鮮時代の史料を発掘
  ・・・・・
 朴世堂(注3)の「欝陵島」(注4)は大きく四部から構成されている。
 第1部は『新増東国輿地勝覧』を引用した部分
 第2部は、壬辰倭乱の時に捕虜として捕えられ、日本の船に乗り、欝陵島へ行って帰った僧侶から聞いた話を記録した部分
 第3部は 1694年9月2日に張漢相が軍官の報告を元に備辺司へ報告した内容
 第4部は同年の1694年9月20日から10月3日まで張漢相が捜討した状況を備辺司へ報告した内容からなる。

  この中で第4部は張漢相の『蔚陵島事蹟』に載っている内容とほぼ同じである。朴世堂は第2部、前述の僧侶から聞いた話を伝え、自分の意見を加えたが、ここで于山島が独島であることを物語る重要な記述が次のように含まれている。

 「たいがい、2島(欝陵島と于山島を指す、柳注)がここからさほど遠くなく、ひとたび大風が吹けば到達できる程度である。于山島は地勢が低く、天候がくっきり晴れていないとか、最頂上に登らないと見えない。欝陵が(于山島より、柳注)少し高い(注5)」

  このような内容がまさに于山島が独島であることを証明する重要な根拠といえる。上の文章をつうじて我々は次のような事実を知ることができる。
 第1にこの文で欝陵島と于山島が明らかに違う島と区分される点である。
 第2に二島の距離と位置関係が明らかにされており、これから于山島は少なくとも欝陵島近隣の島を指すものではないという点が明らかになったのである。
 第3に于山島が欝陵島より少し低いところにあるので、欝陵島からは簡単に見ることができないということを知ることができる。欝陵島が于山島より少し高いので、天候が晴れているとか、高いところへ登って初めて于山島が見えるとしたためである。
 第4に上に述べたように、朴世堂の記録は張漢相が于山島に対し、「東側に海を望んだところ、東南方向に島がひとつかすかにあるが・・・」と表現したこととぴったり合う点である。

  張漢相は聖人峰から東南方向に島が一つかすかに見えるとしたが、朴世堂の記録は于山島は非常にくっきり晴れた日に欝陵島の高いところだけで見えるとした。こうした事実を考慮すると、朴世堂が語る「于山島」は張漢相のいう、まさに「かすかな島」に該当する。
  欝陵島から離れていて、くっきり晴れた日に高いところだけから見える島は現在の独島以外にないためである。したがって、結論をいうと朴世堂のいう于山島と、張漢相のいう東南方向の島は現在の独島をさすのは明らかである。
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  余談ですが、柳博士は数年間にわたって朴世堂の『西渓集』を購読してきた方です(注6)。そのような専門家に対し、事実関係や原典をろくに確認せず「漢文が読めないための誤謬」などと誹謗するのは、いかにも下條正男教授らしいやり方ではないでしょうか。蛇足ですが「原典を確認せよ」は大学院教育の第1歩です。大学教授ならそれくらいは先刻承知済みでしょうが。
(つづく)


 朴世堂『西渓雑録』の誤読、下條正男批判3

2007/12/29 10:34 [ No.16066 / 17395 ] 
投稿者 :  ban_wol_seong  
 
(注1)Web竹島問題研究所のホームページ「事実求是~日韓のトゲ、竹島問題を考える~」第1回 朴世堂の『鬱陵島』 
(注2)朝鮮日報記事「于山島はやはり独島であった」2007.12.4

(注3、柳博士の注)朴世堂は17世紀の思想界を風靡した碩学であったが、自由奔放な思惟体系のために、当時朱子学を信奉していた老論学界により「斯文乱賊」と罵倒される。彼の文集『西渓集』は『韓国文集叢刊』に入っているが、「欝陵島」が載っている『西渓雑録』は刊行された文集には入っておらず、未分類資料となっている筆写本である。このため、史料の存在が一般に知られていない。

(注4、柳博士の注)「欝陵島」は、朴世堂が他人の文と他人から聞いた話を引用して自身の意見をつけ加える形になっている。朴世堂はこの文において「欝陵島」と「于山島」を確然と区分して言及している。彼の言及から推論すると、于山島はまさに独島を指すことが明確に知ることができる。
  さらに朴世堂が生きた時代は安龍福事件があった時期であり、朴世堂は当時、安龍福事件で重要な役割をはたした領議政・南九萬の妻の兄弟である。南九萬は死刑を受けた安龍福を配流の刑に減軽するのに大きな功績がある。
  朴世堂と南九萬がしばしば書信のやりとりをしていた事実からみて、朴世堂は南九萬から安龍福が日本へ渡った事実と、そこで欝陵島に対する領有権を主張して来た事実を聞いていたと推定される。全16頁からなるが、筆写本の状態が良くなく、時折欠字がある。

(注5、柳博士の注)この部分は、朴世堂が僧侶から聞いた話を記した後、自身の説で締めくくったのだが、他人の文を転載した可能性も排除しがたい。そうだとしても、この文が当時、于山島に関する朝鮮人の意識を明らかにしている点で著者が朴世堂であろうとなかろうと問題にならないと考えられる。

(注6)「西渓集を読む集い」(韓国語)京郷新聞、2007.2.9



 Re: 朴世堂『西渓雑録』の誤読、下條批判2

2007/12/30 0:52 [ No.16068 / 17395 ] 
投稿者 :  chaamiey  
 
 半月城さんの論<朴世堂『西渓雑録』の誤読、下條正男批判1~3>にはいくつか疑問があります。


 まず半月城さんは、下條氏の指摘について、「下條氏がこのように述べるのは、朝鮮日報の韓国語記事を引用してのことでした。」として下條氏が原典にあたっていないと断言しておられますが、下條氏の文章からは、彼が「海洋水産動向」1250号を読んだか読んでいないかは明らかではないと思いますよ。


 次に、本件の核心部分である「蓋二島此(寧海)を去ること甚だしくは遠からず」の解釈についてですが、下條氏が、柳美林氏は「およそ二つの島(欝陵島と于山島)はそれほど離れていない」と読み誤った、と指摘していることに対して、半月城さんは、柳美林氏は「ここからさほど遠くなく」と正確に読んでいるから、下條氏の指摘は見当はずれだという御意見のようです。しかし、そうでしょうか。

 半月城さんの紹介するところによれば、柳美林氏は、朴世堂の『鬱陵島』のうち、

 「たいがい、2島(欝陵島と于山島を指す、柳注)がここからさほど遠くなく、ひとたび大風が吹けば到達できる程度である。于山島は地勢が低く、天候がくっきり晴れていないとか、最頂上に登らないと見えない。欝陵が(于山島より、柳注)少し高い(注5)」

という部分が重要であるとした上で、それから分かる重要な事実の2つ目として、

「第2に二島の距離と位置関係が明らかにされており」

と言っていますね。
 
 「ここからさほど遠くなく」という言葉は、もともと朝鮮半島から欝陵島、于山島を見ての表現であったはずなのに、あっという間に2島(欝陵島と于山島)間の距離の問題にすりかわっているのではないですか。

 こういう矛盾があるから、下條氏が「柳美林氏は読み誤った」と言ったのは間違っていないように思います。


 Re: 朴世堂『西渓雑録』の誤読、下條批判

2007/12/30 1:50 [ No.16069 / 17395 ] 
投稿者 :  yabutarou01  
 
半月城さんへ

 >>下條氏がこのように述べるのは、朝鮮日報の韓国語記事を引用してのことでした(注2)。しかし、同氏の翻訳には問題があります。下條氏が「およそ二つの島(欝陵島と于山島)はそれほど離れていない」と翻訳した部分は、ふつうなら yabutarou01さんが No.16028 で紹介したように「たいてい二つの島(鬱陵島と于山島)があまり遠くなく」と訳されます。
すなわち、朝鮮日報は欝陵島と于山島がある場所から遠くないと書いたのに、下條氏は欝陵島と于山島がお互いにそれほど離れていないと無理な訳しました。これは下條氏が「韓文が読めないための誤謬」というより「故意」の我田引水をおこなったというべきかも知れません。

どうか落ち着いて下さい。。半月城さんは重大な勘違いをされていますよ。下條氏が、

朴世堂の「欝陵島」では、「(于山島と欝陵島の)二島、寧海を去ること甚だしくは遠からず」とし、「歴々見える」も寧海から見た于山島と欝陵島のことと解釈している。

と翻訳した部分は朝鮮日報の記事をこのように訳したのではなくて自分で原文を読んで訳したもので間違いないですよ。下條氏は、「天将に暁にならんとし、発船以来、日わずかに■(にちへんに甫)(日暮れ)、すでにして寧海の地面に到る」と朝鮮日報には載っていない部分を引用されていますよ。「『東国輿地勝覧』の記事を基に」とあるのも原文を読まないと判断出来ません。「海洋水産動向」1250号を入手出来ていたのかどうかどうかは分かりませんが少なくとも『西溪雑録』と『臥遊録』のどちらかの原文を入手出来ていたのは間違いありません。
下條氏は自分の訳と朝鮮日報にある柳博士の訳を比較した上で、

柳美林氏は「二島此を去ること」の「此」が寧海である事実を無視し、旧来の説を繰り返したのである。これは故意というより、漢文が読めないための誤謬である。

と判断されているのではないでしょうか。

 >>柳博士は「2島(欝陵島と于山島を指す、柳注)がここからさほど遠くなく」と正しく読みくだしており、下條氏の指摘が誤謬であることが明らかです。

下條氏は柳博士が「此」が寧海である事実を無視して訳したことを指摘されているのであって、柳博士が「去此」を読みくだしてないと判断されているわけではないと思いますよ。

 >>柳博士は数年間にわたって朴世堂の『西渓集』を購読してきた方です。そのような専門家に対し、事実関係や原典をろくに確認せず「漢文が読めないための誤謬」などと誹謗するのは、いかにも下條正男教授らしいやり方ではないでしょうか。蛇足ですが「原典を確認せよ」は大学院教育の第1歩です。大学教授ならそれくらいは先刻承知済みでしょうが。

。。。 柳博士と半月城さんがまずなすべきは自説が正しくて下條氏の説が間違っていることを論証することではないでしょうか。

  • 最終更新:2009-03-10 06:46:27

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