17343 自己の主張にブレがある人

2009/ 2/20 12:39 [ No.17343 / 17345 ]
投稿者 : take_8591


> ただし、自己の主張にブレがある人は問題外です。それは拙論「下條正男の論説を批判する」(嶺南大学『独島研究』4号)に書いたとおりです。
  「下條正男の論説を分析する」のURL

(1)『東国文献備考』への批判
  『東国文献備考』の分註には、「輿地志に云う、欝陵于山皆于山国の地、于山は則ち倭の所謂松島なり」とあるが、これは朝鮮史書の捏造である。というのが下条説です。そして、下条氏の言う「輿地志」に「于山は則ち倭の所謂松島なり」と掲載されていないことは、その後証明されました。既に、『東国文献備考』の捏造は証明されているのです。今更、「輿地志」の内容を知りえなかった下條氏の証明方法を批判して、何が言いたいのでしょうか。

(2)安龍福の于山島認識に対する批判
  下條氏は、ある時には「安龍福の于山島=隠岐島」と言い、又「安龍福の于山島=チェクト」と言い、更に「安龍福の于山島=架空の島」という。この様に下條氏は「自己の主張にブレがある人」である。という主張のようです。
  しかし、『東国文献備考』の捏造が証明される前の半月城さんは、「于山は則ち倭の所謂松島なり」が安龍福渡海前の朝鮮人一般の認識である旨を主張されていましたが、捏造が証明されると、安龍福事件により鬱陵島の東側が明瞭になった、前説との違いは半世紀の時間のズレであるに過ぎない旨主張されています。この様に変説する人を「自己の主張にブレがある人」とは言わないのでしょうか。
  尚、朝鮮朝廷から「漂流の愚民」と切り捨てられた安龍福の認識から何を主張されたいのか、私にはまったく理解できません。

(3)張漢相の独島認識
  半月城さんは、「張漢相のように独島を正しく認識した官吏もいた。張漢相は、欝陵島の辰(東南東)方向三百余里(120km)に島があることを確認して『鬱陵島事蹟』に記録した。」と主張し、「下條は張漢相が確認した島の話には決してふれず」と批判します。
  しかし、張漢相は、日本人による国境侵犯事件を調査したはずです。そしてリャンコ島を遠望したが、発見した島の名前を知らず、鬱陵島の1/3程もあると認識したその島に赴かなかったのです。これは張漢相が、リャンコ島を朝鮮領と理解していなかった事実を示すものです。

(4)『欝陵島図形』で「所謂于山島」とされた島
  ゲーリー氏が、『欝陵島図形』で「所謂于山島」とされた島はチェクトである。と発表されました。対する、半月城さんは、「于山島が描かれた地図は数百枚ある。その内2枚がチェクトを示すからと言って、于山島=独島説は覆らない。」旨主張されました。多くの読者は、少なくとも10枚位は于山島=独島の地図を出してくれると期待しました。
  しかし、半月城さんは「青丘図しろ、大韓全図にしろ、欝陵島周辺の島に関する限り、正確性を欠いた絵地図の域を脱せず。」と述べられます。
  1899年の「大韓全図」ですら、「正確性を欠いた絵地図」と言われるのですから、朝鮮王朝が于山島をどの位置に認識していたかを確認できる資料は存在しないものと解されます。それでも、「安龍福事件により明瞭になった」「于山島=独島」との空論を継続されるのですから、半月城さんは「自己の主張にブレがない人」と評価されます。

(5)大韓帝国勅令の石島
  下條氏は、ある時には「石島=不定の島」と言い、又「石島=観音島」と言い、更に「石島=チェクトとも于山島とも言われる島」という。この様に下條氏は「自己の主張にブレがある人」である。という主張のようです。
  しかし、半月城さんの説は「すべての研究者が石島を独島と認めるためには、それを直接示す資料の発掘が必要である。それが明確に示されれば、下條や島根県が主張する1905年以前竹島は無主地であった、という主張が完全に否定される」というものです。
  要するに、証明責任のある独島領有派がその責を果たすことができないので、下条説の揚げ足をとって、あたかも自己の主張が正しいとの錯誤を読者に求めているに過ぎないのです。

返信


これは メッセージ 17342 take_8591 さんに対する返信です

  • 最終更新:2009-02-25 14:20:34

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